規制の経緯
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1962年の純国産モデルガン誕生以降、メーカーの技術向上により精巧な金属製モデルガンが多数出回るようになった。これに伴いモデルガンを真正拳銃に見せかけて強盗などの犯罪に悪用する事案が相次いだため、1969年には真正拳銃と識別するための標識をモデルガンに付すことや、身元確認のため購入者に住民票の写し等を呈示させるなどの行政指導が行われた。しかし、その後も悪用される事案が続き、1970年には全日空アカシア便ハイジャック事件にも使用された。 モデルガンは弾丸発射機能の無い玩具であり、法に定める銃には該当しないが、真正拳銃と外観の類似性が高いことから人に恐怖心を誘起させる目的で悪用される事案が多く、危害予防の観点上、銃刀法による規制が必要であるとして、これらの所持を禁止する改正法案が作成された。改正銃刀法案は1971年2月16日の参議院地方行政委員会から審議が始まり、以降衆参両院の地方行政委員会で7回にわたり審議された。 法案審議の過程で木製玩具銃も規制対象に加えるべきではという意見も出されたが、実際に悪用されたものはほとんどが金属製モデルガンであり、子供向け玩具銃まで規制対象に加えるには及ばないとして、規制対象は金属製のものに限定された。また、日本国内で所持禁止にしながら外国への輸出は認めることを疑問視する意見もあったが、輸出先には真正銃が比較的容易に入手できる国が多く、玩具程度では問題にならないことや規模の小さな玩具銃業界保護の観点から、輸出まで禁止するのはメーカーが受ける打撃が大きいとして、輸出用は規制対象外とされた。 改正法公布から規制の施行まで6か月の猶予期間を設け、その間に玩具銃業界などを通じて所有者に法定措置(銃腔閉塞および表面着色)の実施または廃棄を周知させることとしたが、当時の国内には模造拳銃に該当するモデルガンが推定70万から80万丁存在し、押入れや戸棚の奥へ置き忘れたものなど、規制施行後に所有者が意図しない形で犯罪を構成するおそれや法定措置の認定基準が現場警察官の裁量に左右される可能性があることなど、規制の運用に対する懸念が示された。これについては犯意の無い所持まで直ちに処罰対象にするような運用の仕方は行わず、規制施行後も模造拳銃を無くすよう努力を続けるとされた。 改正銃刀法は1971年3月26日の衆議院本会議で可決成立し、同年4月20日公布、模造拳銃規制については6か月の猶予期間の後、10月20日から施行となった。また、模造拳銃の具体的な要件を定めた府令は1971年4月22日発行の官報 第13300号で公布された。法案の提出から公布まで2か月余りであったが、この間玩具銃業界やモデルガン愛好家などから規制に反対する目立った動きは見られなかった。
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規制の経緯
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改造拳銃の増加と自主規制 暴力団の対立抗争の増加にともない、金属製モデルガンを素材とする改造拳銃が1972年頃から大量に出回り始めた。1974年、警察庁は法令改正によるモデルガン規制の検討を始めたが、メーカー側が自主規制による改造対策を提案したため、警察庁もこれを受け入れ、メーカー11社が加盟する業界団体として日本モデルガン製造協同組合(現 日本遊戯銃協同組合)が設立された。団体は金属製モデルガン(拳銃型)の改造防止基準を策定し、第三者機関での基準適合検査に合格した製品に安全マーク(smマーク)を付すことを定めた。smマークが付された製品は1975年11月1日から一斉に発売されたが、1976年1月にsmマーク付きモデルガン(回転弾倉式)の改造事案が確認されたことから、回転弾倉式については改造防止基準が改定され、sm-2マークが付された改良品が1976年3月から発売された。その後さらに改造防止基準が強化された製品にはsm-IIマークが付され、1976年9月から発売された。 当時出回っていた改造銃は拳銃型の金属製モデルガンを素材とするものであり、改造対策も拳銃型を中心に行われていたが、団体による改造防止基準が定められていない長物(短機関銃など)の金属製モデルガンにも改造事案が確認されたため、後の法規制では拳銃型、長物などの形態を問わず金属製モデルガン全般が規制対象とされた。 自主規制の限界 玩具銃業界は中小企業が多いことから過当競争に陥りやすく、よりリアルなものを求める愛好家心理に応えて売り上げを伸ばすために自主規制基準を逸脱する方向へ流れやすい。smマーク付きモデルガンの改造銃が押収された際の調査結果から、一部メーカーの改造防止構造が基準に適合していないことが判明している。自主規制基準の検査用サンプルは市販品の抜き取りではなく、メーカーが用意したものであるため、検査用サンプルと市販品が同等であるかは確認できず、メーカーの良心に頼るしかない状況であった。また少数ではあったが業界団体に属さないアウトサイダーが存在し、これらは自主規制に拘束されないため、改造防止策が不十分なモデルガンの製造を続けていた。さらに、この自主規制は販売を規制するものではなかったため、smマーク付きモデルガンが製造されるようになってからも自主規制以前の古いモデルガンの販売が継続され、またアウトサイダーが製造したものも販売できるという点で、効果が十分に発揮できなかった。 1976年7月、このような状況に苦慮した業界団体は警察庁に対し、改造可能な真鍮製モデルガンを製造しているアウトサイダーや、smマークの無いモデルガンを販売している小売業者への指導を求める要望書を提出している。続いて同年10月には、総理府令(現 内閣府令〈銃刀法施行規則〉)改正による改造防止基準の法制化を求める陳情書を提出している。 規制反対運動 警察庁が新たなモデルガン規制の動きを見せ始めた頃、作家などの文化人を中心に規制反対運動が起こった。趣味の領域への国家権力の介入に反対し、玩具銃文化を守ることを目的とする任意団体として1974年7月にモデルガン愛好家協会が設立された。1977年には法規制を不服とするメーカーとともに原告団を結成し、国を相手に訴訟(いわゆるオモチャ狩り裁判)を提起した。 規制反対運動に対し警察庁は、改造防止基準の法制化は元々メーカー側が要望したことであるにもかかわらず、金属製モデルガンは文鎮化される、あるいは所持できなくなるなどの誤った宣伝をしたり、モデルガンサービス券と引き換えに子供を規制反対デモに動員しようとしたことなどを批判的に取り上げている。また、法規制を求めていたメーカー側が態度を翻して規制反対を表明した理由として、長物を規制対象に加えたことや規制強化に伴う負担の増大などを挙げている。 オモチャ狩り裁判は1990年7月に一審の東京地裁で原告敗訴、1994年3月に二審の東京高裁でも敗訴し上告を断念、原告全面敗訴が確定した。 改造拳銃を使用した犯罪 改造拳銃が犯罪に使用された件数は、1975年・65件、1976年・95件であり、約9割が暴力団関係者によるものであった。罪種別では、殺人22件、強盗7件、恐喝16件、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反11件、傷害8件など(いずれも1976年中)となっている。また、1977年3月に発生した全日空817便ハイジャック事件にも改造拳銃が使用され、犯人は機内で暴発させている。 規制法案の審議 警察庁は、業界団体の自主規制に一応の成果は認めつつも、頻発する発砲事件や改造拳銃の押収数が減少しない実態などから法による規制もやむを得ないとして、1976年10月に銃刀法の改正作業に着手した。改正銃刀法案は1977年3月29日の参議院地方行政委員会から審議が始まり、以降、衆参両院の地方行政委員会で7回にわたり審議された。 禁止行為の解釈と実効性に対する疑義 模擬銃器規制の禁止行為として「販売目的の所持」が定められたが、ここでいう「販売」とは「不特定または多数の者に対する有償譲渡」と解され、不特定または多数の者を対象にする意思があれば一人に対する有償譲渡でも販売に当たり、反復の意思があれば一回の有償譲渡でも販売に当たる。禁止行為は販売目的の所持に限定されているため、友人・知人間での交換や譲渡、販売を目的としない製造や購入は禁止されていない。 販売を目的としない製造や購入は禁止されていないことから、暴力団自らが模擬銃器を製造し、または輸出された模擬銃器を外国から逆輸入して改造銃の素材とする可能性があるなど、規制の実効性を疑問視する意見が出されたが、暴力団による模擬銃器の製造が行われたとしても、それが銃器密造の一端を成しているのであれば、共犯として取締まり可能であり、外国からの模擬銃器の調達は引き合わないため実行される可能性は低いとされた。 改造防止基準の概要 業界団体が定めた自主規制基準や違法改造の状況を勘案し、新たに法令で定める改造防止基準として以下の概要が示された。 材質は亜鉛合金程度の硬度以下の金属とする。 回転弾倉式拳銃に類似する形態を有する物は自主規制基準 (sm-II) に準じた構造を採用する。 銃身に相当する部分と尾筒に相当する部分が一体鋳造されている自動装填式拳銃に類似する形態を有する物(警察庁は「ルガータイプ」と呼称。以下、ルガータイプという。)についても自主規制基準に準じた構造を採用する。 新たに規制対象に加えられた小銃、機関銃または猟銃に類似する形態を有する物は、ルガータイプの改造防止構造と同様なものにする。 左右貼り合せ(モナカ構造)の物は強度が低いため、大きさを指定する以外に特段の改造防止措置は定めない。 銃身に相当する部分が取り外し可能な自動装填式拳銃に類似する形態を有する物(警察庁は「ラーマタイプ」と呼称。以下、ラーマタイプという。)については左右貼り合せのモナカ構造にするか、あるいはスライド部分の強度を下げるなどの方法を今後検討する。 改正銃刀法成立と総理府令公布 改正銃刀法は1977年5月19日の衆議院本会議にて可決成立し、同年6月1日公布、模擬銃器規制は6か月後の12月1日から施行となった。ラーマタイプの改造防止構造についてはさらに検討する必要があるとして最終的に総理府令(現 内閣府令〈銃刀法施行規則〉)に一任することになったが、府令制定にあたってはメーカーや愛好家が受ける影響をできるだけ少なくするよう専門家からの意見聴取を行うという附帯決議がなされた。 改造防止基準の具体的な内容を定めた府令は1977年9月10日発行の官報 第15202号で公布された。改造防止構造を検討するとされていたラーマタイプだが、模擬銃器に該当しないものとして府令に定められておらず、鉄製長物なども含めて規制施行後に販売できなくなることが確定した。
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