児童ポルノ規制の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 02:18 UTC 版)
「スウェーデン漫画判決」の記事における「児童ポルノ規制の経緯」の解説
1980年代の水着のファッションがトップレスだったように、もともとスウェーデンでは性に開放的だった。このため日本のスウェーデン像は「フリーセックス・福祉が充実した国・自由」が多いが、これは過去の価値観である。 1971年にあらゆるポルノが合法化された際は、スヴェン・ロマーヌスが代表を務める調査委員会や、レミス制度により意見を求められた多くの機関も、性的児童虐待やその他の目に余るサディスティックな描写を含むものについては、違法のままでよいという意見だった。しかしレンナット・イェイイェル法務大臣(社会民主労働党)は「そのような規制は、私の解釈では、規律と道徳に反する行為の罰則を廃止しようという案の根底にある思想に反する。つまり、可能な限り多様なメディアの中から、個々人の意思で見たい描写を選択できるようにしようということだ」と述べた。 1977年には、ロマーヌス法務大臣が児童虐待を描写したポルノの規制を望んでいたため、表現の自由に関して基本法を見直すため諸問題を調査する「表現の自由調査委員会(YFU)」を設置し、YFUは「児童ポルノに関する罰則は、あらゆる種類の画像に対して有効にするべき」という調査報告書を提出した。「絵も含めるべき」とした理由は「絵であっても、生身のモデルを元に制作された可能性を無視できない」だった。しかし調査報告書には、現実の児童虐待に基づいて絵の児童ポルノを作った実例がひとつも載っておらず、委員の一人であるアンデシュ・ユンググレーン(中央党の青年団代表)は、「具体的な事件は知らない。具体的な例ではなく、単にそういった事態が起こり得るという予測に基づいたものだった」と述べた。ロマーヌス法務大臣は絵も規制対象に含めようというYFUの案を支持し、「この種の画像は概して児童に対する侮辱である。それはモデルに使われる児童への侮辱のみに留まらない」とした。 1980年1月1日から、児童ポルノの製造・頒布が違法となった。この新法は「出版の自由基本法」の例外項目に、名誉棄損、犯罪的行為扇動、基本法による保護を受けないその他の事項に並ぶ形で加わった。 1999年には児童ポルノの単純所持が禁止されたが、この規制の背景には、未成年がバイト等ができず、児童ポルノ撮影で儲けるものが続出し、「労働法」に違反することを理由に禁止するようになったことが挙げられる。スウェーデンでは日本の学生アルバイトのような短時間のパートタイムが少なく、ほとんどがフルタイム勤務になり、学生の普段のアルバイトが日本よりも一般的ではなく、アルバイトは夏休みにするという子が多い。スウェーデン統計局の2015~2016年の調査によると、13歳~15歳の子どもの11%と、16歳~18歳の子どもの52%が夏のアルバイトをするが、学校が始まるとアルバイトと兼業することはあまりない。年間を通してアルバイトをする13~15歳はおよそ9%で、16~18歳では29%となっている。 また、2010年のインターネット上の児童ポルノへのアクセスの犯罪化や児童ポルノの拡大等を法改正では、児童ポルノへの関与が多国間で組織的に行われていること、ITとインターネットの発達が児童ポルノの作成を安価なものにし、頒布の規模を飛躍的に拡大させていること等があるとした。
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