裕一の恩師・幼なじみ
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「エール (テレビドラマ)」の記事における「裕一の恩師・幼なじみ」の解説
藤堂清晴(とうどう きよはる) 演 - 森山直太朗 裕一の小学校時代の担任の先生。 裕一の音楽の才能をいち早く見抜き、いじめられっ子だった彼の人生に希望の光を与えた優秀な教師で、裕一が成人してからもことあるごとに相談に乗っており、彼からは生涯の恩師として慕われている。 この他、小学校時代の鉄男の一家が貧困のため夜逃げする直前、鉄男の作詞の才能が潰えてしまうことを憂い、彼に新聞社の働き口を紹介し、そこで働く知人の名刺を渡した。また、久志とは裕一達と同じクラスになる前からの担任で、彼の歌の才能をいち早く見出したり、離婚して家を出て行った実母の現在を目の当たりにしてショックを受けた時は励まして立ち直らせた過去があり、『福島三羽ガラス』は3人とも藤堂に恩がある。彼らの小学生時代にはハーモニカ倶楽部の顧問をしており、裕一も部員の一人であった。 「船頭可愛いや」の大ヒットをきっかけに、東京で活躍する裕一に『福島吾妻尋常小学校』の校歌を作曲してもらいたいと頼み、裕一が数年ぶりに帰郷するきっかけを与えた。 陸軍将校(すでに退役)の息子だが、彼自身も父親の反対を押し切って教師の道に進んだことを裕一に告白している。 3回の離婚歴がある昌子の求愛を受け入れて結婚し、息子の憲太が生まれた5年後、予備役将校として召集され、戦地へ出征する。 出征の前、自分のことを思って詞を作ってほしいと鉄男に頼み、それに応えて鉄男が作詞した「暁に祈る」が国民的人気を博すると共に、作詞家としての鉄男の名声も上昇した。 出征時の階級章は「少尉」であったが、ビルマの戦場では「藤堂大尉」と呼ばれていたことから、最終的には「大尉」まで昇進した。 インパール作戦の最中、慰問のためビルマに来た裕一と再会するが、裕一の指揮による慰問会が行われる予定だった当日の朝に敵襲を受け、激しい銃撃戦の末に部隊は壊滅、彼自身も腹部に致命傷を負い、裕一の腕の中で息を引き取った。敵襲の直前、妻の昌子に宛てて書いた遺書を裕一に預けており、その遺書は裕一の手で昌子に届けられた。 第1話の1964年の東京五輪開会式直前のシーンでは、鉄男が藤堂の墓参りをしている。またそのシーンは第118話でも再度挿入されていた。 エールコンサートでは、久志と「栄冠は君に輝く」をデュエットした。 大本のモデルは古関裕而の小学校時代の担任教師であった遠藤喜美治。ただし、実在の遠藤は召集されておらず、東京五輪よりも更に後、大阪万博後の1971年まで健在であった。 佐藤久志(さとう ひさし) 演 - 山崎育三郎(幼少期:山口太幹) 県議会議員の息子で裕一の小学校時代の同級生。 少年時代は大人びた言葉遣いで、裕一の側に突然現れては助言を送り、次の瞬間には消えているという神出鬼没な存在であった。 裕福な家庭の息子であるが、貧しい友達への思いやりもあり、後述の鉄男の家庭の事情も藤堂に伝え、裕一の言葉と共に鉄男に希望を与えることになった。 東京帝国音楽学校を首席で卒業。音の2年先輩。ハンサムなため、彼の言動に女子生徒達は悲鳴をあげ「プリンス」と呼ばれていた。『椿姫』の恋人役に選ばれている。 福島に引っ越す前に梶取保(後述)と出会っており、勘違いだったが恵は近いうちに結婚するかもしれないから、当たって砕けろでプロポーズをしろと背中を押した。 8歳の時に両親が離婚し、実母・麻友のことが忘れられず継母・玲子に馴染めずにいた。その寂しさから、女中・幸代から麻友が住んでる場所を聞き出し見付けたため、声を掛けようとするが、麻友がすでに再婚して子供も生まれている現実を目の当たりにして、自分は実母に捨てられたものと絶望する。 しかし、担任教師となった藤堂の励ましと、帰宅時に玲子が優しく抱きしめてくれた暖かさから、彼女を「お母さん」と呼べるようになった。 前述の通り東京帝国音楽学校を首席で卒業したが、プライドの高さが災いして、卒業から4年経ってもプロのスカウトがなく困っていたところを、コロンブスレコードの専属歌手オーディションの応募を裕一から勧められ、音楽教師の御手洗清太郎(後述)と互いに強烈なライバル意識を燃やしつつ最終オーディションまで勝ち残り、そこで「丘を越えて」を歌った。しかし、ディレクターの廿日市誉からは才能を認められるも、コロンブスレコードの経営陣が帝都ラジオ会長の息子寅田熊次郎(後述)をコネで合格させたため不当にも落選させられてしまい、最終的には廿日市の尽力で「研究生」という形で入社することになった。 上京して来た裕一の義妹・関内梅に一目惚れし、得意のウインクで落とそうとするが、文学一筋の梅には全く効かなかった。その後、田ノ上五郎(後述)と三角関係になるが梅は五郎を選んだ時は潔く身を引き、「梅さんを幸せにしろよ」と背中を押した。 後に日本が戦争状態へと突入した時期に、裕一が作曲した「露営の歌」「暁に祈る」の歌唱を担当し、大ヒットを収める。 その後、藤堂に続いて召集令状が届いてしまうが、痔であることを理由に兵役を免除されて帰って来た。 そしてこれを機に、高齢により体にガタがきていた父・弥一のため、裕一達に『福島三羽ガラス』復活を誓って、福島へ帰っていった。 しかし、終戦後は農地改革によって土地家屋財産を奪われた上、弥一も亡くなったことに加え、彼自身は気付いていなかったが戦時中に「露営の歌」などの戦時歌謡を歌っていたことで「戦犯」呼ばわりされており、そのことで弥一も地域住民から痛烈に非難されて心労を抱えていた(それが原因で弥一は病気が悪化して亡くなった)ことを、弥一の葬儀に集まっていた参列者たちの会話から偶然に知ってしまった。これらの出来事がきっかけで、東京で酒と博打に溺れる自堕落な日々を送っていたが、鉄男と池田からの叱咤激励、そして彼に一途な思いを寄せる藤丸(後述)と裕一の献身的な支えと信じる続ける優しさから「夜更けの街」、「栄冠は君に輝く」を歌い、歌手として再出発した。そして藤丸と婚約し後に結婚した。第105話でのクリスマス慈善音楽会で藤丸とサンタクロースの衣装を身に着け「リンゴの唄」をデュエットした。また開演前には、ライバルの御手洗と再会した。 裕一と池田の制作する『鐘の鳴る丘』の、登場人物、仙人(そまびと)の歌声を裕一の依頼で務めた。それをもとに作曲された「イヨマンテの夜」を「売れない」と言われながらもステージやラジオで歌い続け大ヒットをものにした。またその曲は久志の代表曲となった。 東京オリンピックの前に裕一、音、鉄男、木枯、そして藤丸と裕一の家で飲んで「高原列車は行く」を歌っていた。 エールコンサートでは「船頭可愛いや」と「栄冠は君に輝く」を歌った。 古関裕而の親友で歌手の伊藤久男がモデル。 村野鉄男(むらの てつお) 演 - 中村蒼(幼少期:込江大牙) 魚屋「魚治(うおはる)」の長男。 「乃木大将」と呼ばれるガキ大将(単なる喧嘩っ早い性格ではなくて貫禄もあり、それは自分より大柄な太郎が言うことを聞くほど)で、当初はいじめられっ子の裕一を「づぐだれ(意気地なし)」と呼んで見下していたが、いじめっ子に敵わぬながらも本気で立ち向かった裕一を認めて助けに入る。また、裕一相手でも自分の非は素直に認めて謝罪する。子供の時から詩を書くことが好きだったが、家が非常に貧しく、父、善治の借金から一家で夜逃げして福島を去った後、福島日民新聞社の記者となって、裕一と川俣で再会する。 裕一の上京後、希穂子と出会い交際するが、自分の縁談話を聞かれてしまい、姿を消したため有給休暇を使い度々上京しながら探していた。 「パピヨン」で再会後、告白するが「自分も縁談を受けた」と言われ失恋する。 その後は吹っ切れたようで新聞社も退職して上京し、たまたま出会った老人・山根のおでん屋の屋台を継ぎ、裕一達の行き付けの店になった。 裕一が作曲した「福島行進曲」の作詞を担当して作詞家デビューするも失敗に終わるが、後年、日本が戦争状態に突入した時期に、裕一が作曲した「暁に祈る」の作詞を6回の書き直しを経た上で手掛け、久志が歌唱を担当し、これによって『福島三羽ガラス』の存在が世間に認められるようになった。同時におでん屋は店じまいした。 その後、福島時代の上司が東京で働いており、人手が少ないからと誘われ新聞記者に戻ったが、本当の理由は人々を戦争に駆り立てる詩を書きたくないからであった。 戦中に藤堂の死や戦況について嘘ばかり書かされたことにショックを受けていたが、元々の性格と悲痛な少年時代を送ったことから『福島三羽ガラス』の中では最も立ち直りが早く、終戦後は作詞家に復帰し「湯の町エレジー」の作詞を手掛ける。その曲は木枯正人が作曲し大ヒットし、鉄男の代表作となった。その後も作曲・木枯、作詞・鉄男(村野)の曲がヒット作を連発させたことから『木枯・村野コンビ』と呼ばれるようになった。裕一と仕事を共に行うようになった池田二郎とも裕一の義兄・関内智彦のラーメン屋の常連客になる。そして聖マリア園でのクリスマス慈善音楽会で音が歌った曲「蒼き空へ」の作詞を行った。 昭和26年、コロンブスレコードの杉山あかねから、家族を題材にした映画の主題歌の作詞を依頼されるが、家族との複雑な心情もあって一度は断った。それを聞いた裕一から、母校の『福島信夫小学校』の校歌の作詞を依頼され完成させて、校歌お披露目会に裕一と出席し、生徒たちに講演を行った。講演では「たとえ今辛くても未来は変えられる」と話した。なお、発表された校歌は第1話で紹介されている。 お披露目会前夜に裕一に夜逃げ後のことを初めて語った。山奥で暮らしていたが父からの暴力は相変わらずで、弟の典男が家を出たあと、母・富紀子から口減らしと言われながらも「自分の道を歩いて行け」と言われ鉄男も家を出て、夜逃げ前に藤堂から渡された名刺を頼りに歩いていった。追い出された形になったとは言え、母を捨てたことが鉄男には大きな重荷となった。 お披露目会に出席した長男の話を聞いた弟の三上典男が宿泊している裕一の実家を訪ね、鉄男と再会し、その後に典男の家族を招き裕一、まさを交え食事会を楽しんだ。 そして帰京後に一度は断った映画の主題歌の作詞を完成させた。その後も「東京だョおっ母さん」の作詞などで活躍する。 東京オリンピックの開会式には藤堂の墓の前でラジオをつけて、裕一作曲の「オリンピック・マーチ」を聞かせていた。 エールコンサートでは「船頭可愛いや」のギターを担当した。 「福島民友新聞」は、古関裕而の親友で作詞家の野村俊夫がモデルと報じている。 楠田史郎(くすだ しろう) 演 - 大津尋葵(幼少期:細井鼓太) 裕一の同級生。小学校時代は太郎と一緒に裕一をいじめる。福島商業学校の頃には友達となっており(友達になった理由は裕一の項を参照)、裕一とともにハーモニカ倶楽部に所属する。 裕一が帰省した時にはハーモニカ倶楽部はすでに辞め、家業を継いだとのこと。
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