旋回径(Tactical Diameter)の比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:51 UTC 版)
「大和型戦艦」の記事における「旋回径(Tactical Diameter)の比較」の解説
アイオワ級戦艦模型:20 kt-760 yd(694.94 m)、33 kt-1430 yd(1,307.59 m) 公試:30 kt-814 yd(744.32 m) ニューメキシコ級戦艦左舷15 kt-560 yd、右舷15 kt-650 yd、21 kt-690 yd コロラド級戦艦左舷15 kt-695 yd、右舷15 kt-630 yd、左舷20.7 kt-690 yd、右舷20.7 kt-705 yd ノースカロライナ級戦艦模型:20 kt-620 yd(566.92 m)、27.5 kt-759 yd(694.02 m) 公試:14.5 kt-575 yd(525.78 m)、27.5 kt-683 yd(624.53 m) サウスダコタ級戦艦模型:16 kt-700 yd(640.08 m)、26.5 kt-733 yd(670.25 m) レキシントン級航空母艦模型:33 kt-1950 yd(1,783.08 m) ヨークタウン級航空母艦30 kt-790 yd(722.37 m) エセックス級航空母艦30 kt-765 yd(699.51 m) ミッドウェイ級航空母艦30 kt-990 yd(905.25 m) アラスカ級大型巡洋艦870 yd(795.52 m) デモイン級重巡洋艦模型:20 kt-750 yd(685.8 m)、30 kt-835 yd(763.52 m) バッグレイ級駆逐艦30 kt-880 yd(804.67 m) ベンソン級駆逐艦30 kt-960 yd(877.82 m) フレッチャー級駆逐艦30 kt-950 yd(868.68 m) アレン・M・サムナー級駆逐艦30 kt-700 yd(640.08 m) ネルソン級戦艦670 yd(614.64 m) キング・ジョージ5世級戦艦14.5 kt-930 yd(850.39 m) ヴァンガード級戦艦全速力-1025 yd(937.26 m) 回避運動中の大和を上空からとらえた写真をみると、周囲の海面が盛り上がっているのが分かる。巨艦の小回りの効きの良さを裏付ける写真である。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、呉軍港空襲で大和は米軍機の投下する魚雷、爆弾の多くをかわす事に成功している。 一方で追従性に関しては転舵後に艦首が振れ出すまでの時間が非常に長く、90秒を要した。池田貞枝(武蔵航海長)は100秒と証言している。1943年に大和航海科少尉だった佐藤清夫(後、野分航海長)は一度だけ大和を操艦し「船体が巨大なタライのようで艦首がまわらず、回りはじめると所定の針路に戻せない」と述懐している。また回頭すると速力は急激に落ちる。公試では12ノットで転舵を命令しても艦首が動き始めるまでに約40秒が必要であり、急降下爆撃機や潜水艦魚雷の回避には1分前から転舵する必要があると問題視された。艦型は簡単に変えられない以上、舵の性能に頼るしかないが、舵面積は排水量に比較して相対的に小さく、建造に携わった牧野茂は面積の増大を行わなかった事を悔いている。針路安定性については不明。なお、上記の3要素に港湾などでの取扱い易いさを示した低速での操縦性能や停止性能などの要素を加えて艦船の運動性能は評価される。 最上甲板 最上甲板を真横から見ると、第1主砲塔前を底とするなだらかな波型をしているのが見てとれる(いわゆる「大和坂」)。これは艦上構造物で最も重量のある砲塔の位置を下げ、艦首部に大きなシア(甲板の反り)をつけることで、艦の重心降下と良好な凌波性という相反する性質を上手く両立させるためである。また高い乾舷は予備浮力を多く保持する事に役立った。信濃、111号艦では凌波性を重視してこの反りは緩い物に設計が変えられた。台湾檜をしきつめた木甲板の下に、舷側側35mm、中央部50mmのCNC甲板が張られている。 復原性 友鶴事件、第四艦隊事件の教訓を反映して設計された大和型は復原性、凌波性共に優れていた。スラミングが多発する波長や、大抵の荒波の波長より艦の全長が長い事もあり、強風や荒波での戦闘は特に有利だったと思われる。 檣楼(前部艦橋) 従来の、斜め支柱で支えた柱に櫓を組み合わせた日本戦艦檣楼(パゴダ・マスト)と異なり、46cm主砲の爆風対策もあって完全閉鎖型となった。設計に先んじて、戦艦比叡を改装し、測距儀の位置、構造などを試験し、さらにモックアップ(実物大模型)を作って、必要最小限の大きさにまとめる努力がなされた。前側面部が数箇所えぐられた形状になっているのは、射撃指揮装置や対空火器の視野を広くとるためである。施工に際してはブロック工法が採用され、何分割かされたものを陸上で作り、艤装時に接合した。能村(レイテ沖海戦時、大和砲術長)によれば、従来型日本戦艦艦橋に比べて安定性が劇的に改善され、主砲の発砲でも震動を感じなかったという。 艦橋は中甲板から13階、露天甲板から10階建てである。作戦行動上主要な室は毒ガスにそなえ気密構造になっていた。構造的には中心部の二重の筒で全体を支えている。構造支持の内筒は直径1.5m、20mmDS鋼鉄で、内部には電線や配線が通り、主砲射撃装置を支えている。内筒と外筒の間に階段と三菱製のエレベーターが通っている。3人乗り、または4-5人乗りという説が多いが、終戦時に図面が焼却処分されていることもあり、関係者の証言のみで詳細は不明である。エレベーターは上級士官のみ利用できたが、例外として艦橋横(第二艦橋上方、副砲射撃指揮所後方)の九三式十三粍連装機銃(13mm連装機銃)の銃弾運搬員と。第一艦橋付近に待機所があった飛行科搭乗員も利用を許されたという証言がある。千早正隆(武蔵艤装員)によれば、長官公室のある中甲板から第一艦橋までを結び、スピードが速い上に増速・減速装置の効果がいま一つで「慣れた者でも一往復すると気分が悪くなる」という性能だった。土肥一夫(連合艦隊参謀)は2人乗りと回想している。1943年「武蔵」に昭和天皇が行幸した際には、古賀峯一連合艦隊長官と天皇が二人きりで艦橋エレベーターに乗り、古賀は若手士官のようにエレベーターを操作したという。 檣楼上部が第一艦橋、檣楼下部に第二艦橋(夜戦艦橋)、その下部に厚さ500mmの装甲で覆われた司令塔がある。司令塔は操舵室、防御指揮所、主砲司令塔射撃所(主砲用旋回方位盤設置)の三区画にわかれている。能村の回想にあるように、戦闘中の副長は防御指揮所にいた。司令塔の上部に第二艦橋があり、内部構造は第一艦橋とかわらない。その上に、副砲射撃指揮所、電探室、伝令兵待機所、艦長休憩室甲板、作戦室の各種部屋と階層があり、第一艦橋に至る。水上戦闘時、艦長や司令官はここで指揮をおこなう。艦橋の特殊ガラスは降ろすことも可能だった。 檣楼屋上部分には航空機からの攻撃に備えて艦の全周が見える防空指揮所(露天)をもうけ、中央に羅針儀、周囲に20cm双眼望遠鏡が8基備え付けられている。空襲時には、艦長、高射砲長、見張長はここで指揮を執り、伝声管と電話で各艦橋や高角砲射撃盤室と連絡を取った。防空指揮所の高射長付伝令6名は、1人5台もの電話を受け持っていた。檣楼の最上部分には、主砲用の15.5メートル測距儀と、円筒形に主砲射撃指揮所が設置された。 檣楼外周には、信号燈、機銃群を管制する九五式射撃指揮装置、九四式高射装置、哨信儀(赤外線モールス信号通信装置)、探照灯、旗甲板など、各種装置が設置されている。武蔵の艦橋写真からも見てとれる。 檣楼の高さは諸説あり、喫水線から34.3m、頂部まで39m、防空指揮甲板までが39mで主砲射撃指揮所を入れると46m、小林健(主砲射撃指揮所員)による上甲板から射撃指揮所まで50mなどがある。レイテ沖海戦直前、大和左舷に長門が横付けするのを武蔵艦橋から観察していた細谷は、大和の檣楼は長門型戦艦の艦橋(高さ41m)より頭一つ(射撃指揮所、15.5m測距儀)高かったと回想している。 大和型では閉鎖式の筒となっているが、ドイツ海軍ではポケット戦艦「グラーフ・シュペー」のラプラタ沖海戦における戦訓から、一般に戦闘艦橋を開放式となし、グラーフ・シュペーの同型艦「アドミラル・シェーア」などでは改装もしている。一方で、大和型戦艦と同時期のアメリカ新造戦艦もすべて閉鎖式である。砲撃時の安定性向上に貢献した閉鎖式筒状構造だが、悪い方向に働いた例としては、1944年10月24日のシブヤン海海戦における戦艦武蔵がある。午後2時ごろに武蔵艦橋の防空指揮所甲板に250kg爆弾が命中、爆弾は第一戦闘艦橋甲板を貫通し、作戦室を貫通したところで炸裂した。この爆風が第一戦闘艦橋に逆流し、航海長をはじめ37名が即死、人体が第一艦橋内の壁に付着するという惨劇が生じたこの損傷では、武蔵が救助していた高雄型重巡洋艦「摩耶」(前日沈没)の副長と軍医長も戦死している。猪口敏平艦長は防空指揮所甲板で負傷、加藤副長は第二艦橋におり無事だった。 なお、建造当初からの大和と武蔵の識別点が前部檣楼である。大和の外部昇降ラッタル(梯子)は艦橋左舷にあり、旗甲板(信号指揮所入口)から電探測定室を通り、第一艦橋出入り口に通じる。大和はラッタルがさらに防空指揮所へ通じている。武蔵のラッタルは、艦橋右舷に設けられていた。さらに第一艦橋入口に来るとそこでラッタルが終わり、防空指揮所には通じていない。武蔵の防空指揮所へ行くには、第一艦橋内の階段を使わなくてはならない。両艦とも外部昇降ラッタルは下士官兵専用だった。 マストと後部四番副砲塔の間に予備指揮所(後部艦橋)があり、10m測距儀と九八式方位盤照準装置改一が設置されていた。前部艦橋の予備という観点から、副砲射撃指揮所も含めて第一艦橋と同じ機器を備えている。一番・二番主砲塔と三番主砲塔が別の目標を狙う場合には、予備指揮所が三番主砲塔の照準を担当する。煙突とマストの存在から後部警戒が手薄になりがちな前部艦橋防空指揮所の機能を補い、大和型戦艦後方を監視する役目を担っていたという。
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