参議院議長とは? わかりやすく解説

参議院議長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:37 UTC 版)

松野鶴平」の記事における「参議院議長」の解説

戦後参議院では、議事遂行において公平を期すために議長在任中は党籍離脱する慣例となっていた。なお松以前の3人が所属していた緑風会無所属議員ための会であって身分的には無所属である。だが、戦前帝国議会唯一の公選によって選ばれていた衆議院議長通常第一党から選出)は、その党籍維持してその権威によって議事運営を行う一方で第一党独断的な動きに対して党員としての発言力によって阻止し続ける事によってその暴走食い止めるという慣例存在していた。戦前立憲政友会在籍していた松野その時代の議長観を戦後になって保持しており、他党党籍離脱要求にも関わらず参議院議長在任中も党籍維持自民党会派にも所属し続けた日米安保条約改訂などで政局流動的な情勢の中、松野は己の議長観に忠実に従うことによって自民党側の強引な議事運営防止しつつ、円滑な審議尽力して一定の成果収めたが、それは同時に参議院政党化」を促進する事にも繋がった松野後任となった重宗雄三同様に自民党所属のまま参議院議長を9年務め党内絶対的な権力を持つに至った議長党籍ないしは院内会派からの離脱定着するのは、重宗の後任となった河野謙三党籍離脱してからである。 昭和37年1962年10月18日78歳にて死去従二位勲一等旭日桐花大綬章

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参議院議長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:00 UTC 版)

重宗雄三」の記事における「参議院議長」の解説

3期9年間にわたり参議院のドンとして君臨し池田勇人佐藤栄作政権支えたその影響力の強さから、佐藤岸信介とともに長州御三家呼ばれた佐藤も重宗の意向逆らって法案審議ままならぬとて、しばしば議長室に自ら赴いて頭を下げるほどであった議長在籍時も自民党籍を持っていた重宗は、参議院自民党過半占め議員グループ清風クラブ」を牙城に、参議院をまとめた。参議院自民党トップとして閣僚人事にも影響与えたため、閣僚推薦持っているはずの自民党参議院議員会長林屋亀次郎ら)の存在感薄らぐ一方であった。ポスト欲しさ日参する参議院議員多く、「重宗詣で」と呼ばれた。その権勢から「重宗天皇」と称され参議院は「重宗王国」とまで呼ばれた。 重宗は自民党全盛時代参議院自民党の力をフル活用し、しばしば危惧されていた「参議院独自性」を守ろうとした節がある松野鶴平の例と同じ)。議長時代には議事整理権などを駆使し日韓基本条約大学措置法沖縄返還協定強行採決おこなった。 その独裁的な振る舞いや、総裁四選後の佐藤との関係悪化さらには角福戦争重なる中、「長いことはいいことだ」と四選を確信して議長選出宣言をする。しかし、河野謙三らのグループ桜会」の批判勢力台頭し河野議長選出馬を断念させる条件として自らが出馬断念追い込まれた。さらに、重宗が後継議長候補として推した木内四郎反発した自民党一部議員野党推した河野当選している。 参議院議長在任日数の3,242日は参議院史上最長記録である。 1974年昭和49年)に政界引退参議院議員当選5回を重ねた1976年昭和51年3月13日死去享年82同年3月22日青山葬儀所自民党葬、告別式が行われた。

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参議院議長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:09 UTC 版)

西岡武夫」の記事における「参議院議長」の解説

2010年平成22年7月第22回参議院議員通常選挙民主党大敗し民主党参議院過半数割り込んだ。しかしなお参議院第一党であり、参議院議長は第一党から出すことになっている慣例民主党西岡議長推すものの、前国会での江田参院議長西岡参院議院運営委員長らの国会運営反発する自民党執行部みんなの党自民党からの議長選出主張した。しかし野党共闘不調に終わり自民みんなの2党は議長選挙への野党統一候補擁立断念西岡江田後任議長とする流れ固まり自民党副議長候補擁立することになった西岡同年7月21日議院運営委員長として理事会国会運営について野党謝罪した。 しかし、議長選挙では全会一致議長が決まるのが通例であるのに、西岡過半数139票を獲得したものの、白票88票、江口克彦みんなの党)が11票、尾辻秀久自由民主党副議長就任)が1票と異例投票結果となった。参議院議長就任に伴い離任した参議院議院運営委員長の後任は、自民党鈴木政二参院国会対策委員長就任し議院運営委員長のポスト野党明け渡すことになった。 参議院議長就任以降民主党出身ながら民主政権菅内閣批判的な立場を取る等、中立求められる参議院議長として過去になかった異例行動多かった議長として異例な行動理由に「日本の政治には、もう『余白』や『悠長な時間』が無い」と述べ、また「私へのチェック機能議長不信任決議案提出可能性)などで担保されている」と説明した参議院史上初め議長記者会見定例化に踏み切った参院選における一票の格差是正等を目指し党派の代表が参加する会議新設全国を9ブロック分けた比例区による新選制度とする私案提案詳細は「衆議院・参議院の選挙制度改革案一覧」を参照 2010年9月民主党代表選挙関し候補者出馬表明前同年8月23日に「菅直人首相続投表明すれば、対抗する候補者は相当の覚悟必要だ。党を去ることも選択肢に入る」と発言し小沢一郎立候補牽制した。民主党籍は持っているものの自らの投票権棄権することもあわせて表明した内閣総理大臣菅直人外交政策について「作戦展望持っていない」と痛烈に批判するなど、閣僚らに対し苦言を呈することも多かった衆議院側で国土交通大臣馬淵澄夫内閣官房長官仙谷由人らに対す不信任決議案否決された際に、「責任官房長官のほうが重い」と指摘した。さらに、尖閣諸島中国漁船衝突事件をめぐる仙谷答弁について「法廷闘争的な答弁はしているが、政治的に通らない」と批判した。これを受け、仙谷は「参議院議長言っているのだから、重く受け止めたい。別に反論はない」と述べた2011年平成23年3月1日衆議院から送付され2011年度当初予算案について、自民党などは予算案と共に歳入関連法案参議院送付されていないことを問題視した。憲法602項の「衆議院議決優先されるのは、参議院衆議院可決した予算受け取った後に議決しないとき」という内容条文根拠に、「予算受領したか否か参議院側において主体的に判断できる」などと主張した西岡議長としてこれに同調し予算案受け取り留保し衆議院予算案可決した同年3月1日異な同年3月2日付で予算案受領した扱いにした。 2011年平成23年3月31日に、子ども手当半年延長する平成二十二年度等における子ども手当の支給に関する法律案」の採決で、参議院本会議可否同数となった際に、議長決裁可決とした。このことについて後に「元を糺せばこういう政策恒久的な財源がなく、一年間時限立法でやるのがおかしかったが、実際問題として仮に法律通らないと、かなり現場混乱する」として、やむを得ない対応であったことを語った2011年平成23年5月11日西岡主導東日本大震災復興財源充てる増税反対する超党派議員連盟発足し声明発表した2011年平成23年5月19日読売新聞に、東日本大震災菅直人内閣総理大臣の対応を批判し一刻も早く菅内閣退陣するよう求め論文寄稿した2011年平成23年6月国家公務員の給与削減する法案衆議院提出された際に、国家財政の悪化について理解示しつつも、公務員労働三権人事院制度等の公務員制度について、抜本的改革をせずに人事院との協議不十分なまま給与削減をする趣旨反発し衆議院から送付され場合参議院議院運営委員長との協議の上人事院との協議尽くされない限り参議院としては法案委員会付託しない考え示した2011年平成23年7月7日第177回国会6月2日否決され内閣不信任決議は、同会期中に2回目採決できないとする一事不再議について、西岡は「提案者不信任理由異なれば2回目採決は可能であり、(2回目内閣不信任を)議院運営委員会玄関払いしたり、衆議院議長議題にしないということは不可能」と発言した2011年平成23年7月14日民主党国会議員に対して菅首相退陣させるために、民主党両院議員総会で代表の解任手続きと、衆議院での内閣不信任決議案参議院での首相問責決議案提出すべきだとする論文発表した2011年平成23年8月31日参議院本会議閉会挨拶内容に、ねじれ国会であることを理由に、参議院法案を送らず、審議時間短縮して決断迫り政策推進の遅れを参議院責任転嫁する姿勢出たことは遺憾だ発言野党議員から拍手起こり自民党山本一太参院政審会長は「参議院代表として正論述べられた」と評価した

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参議院議長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:00 UTC 版)

扇千景」の記事における「参議院議長」の解説

保守党解党により保守新党結成される党参議院議員会長就任し2003年11月21日保守新党解党されると、自民党総裁小泉純一郎幹事長安倍晋三誘い9年7か月ぶりに自民党復党する。2004年7月30日、第26代参議院議長選出された。貴族院時代含め女性日本の上院議長に就くのは憲政史初めてで、衆参両院でも第68衆議院議長土井たか子次ぎ2人目だった。 2007年5月次期参院選への不出馬政界からの引退表明する引退後は夫と2人互助新婚生活をしてみたいと語った

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