参議院議長として
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2007年の第21回参議院議員通常選挙で民主党が大幅に議席を増やし、与党は参議院では過半数を割り込んだ。そのため、8月の臨時国会で全会一致で参議院議長に選出される(副議長は山東昭子)。野党から参議院議長が選出されるのは1955年の自民党結党以来初めての出来事であった。 2007年8月30日に日本記者クラブで行った講演で、衆議院議決法案を参議院が修正か否決(または60日間未議決)しても衆議院で再議決できるとする日本国憲法第59条第4項について、「例外中の例外の規定だ」と述べた。 2007年11月30日、額賀福志郎の山田洋行事件に関して民主党が野党単独で証人喚問を議決したことについて「円満にできるように取り計らってもらえないか」と慎重な対応を呼びかけた。 2010年7月の第22回参議院議員通常選挙では、参議院議長ながら民主党公認で岡山県選挙区から立候補し、当選。通常、中立性を守るために衆参両院の正副議長は所属する会派から離脱するのが1971年以降からの慣例であり、会派を離脱している議長が政党の公認を受けて参議院議員選挙の選挙区(旧地方区)に立候補するのは1971年以降では初の出来事であった。 第22回参議院議員通常選挙後、参議院議長を退任(後任は西岡武夫)。
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