憲法研究と改正への熱意とは? わかりやすく解説

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憲法研究と改正への熱意

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 04:05 UTC 版)

小林次郎」の記事における「憲法研究と改正への熱意」の解説

1950年5月第2回参議院議員通常選挙全国区自由党から出馬する参議院事務総長退官後は「二年半の(参議院事務総長体験徹し日本国憲法精神国民の間に理解され居ないことが判ったので、日本民族将来のため、余生国民政治教育捧げよう決心」していたが、周囲勧めがあり議員選挙出馬したという。所属政党については、小林貴族院議員勅選された当時内閣書記官次田大三郎から社会党入党勧告されていたが、親任官待遇賜ったとき(1946年12月5日)の首相吉田茂誘いがあり自由党選んだという。しかし小林意気込み反して選挙実際は金と違反まかり通る世界であった。そのうえ党本部支援も不十分で、小林11余り得票落選小林このままでは選挙法改正しないかぎり良識的な候補者苦しめるだけであると憤慨している。 ついで1953年4月第3回参議院通常選挙長野地方区から出馬して落選した国政参加への再度挑戦背景には、日本国憲法制定関与した者の一人としてその内容の不十分を国政の場で自ら提起し正してゆきたいという強い思いあったかであった2回目落選のあと小林世話人として主に旧貴族院日本国憲法制定関与した勅選および学士院会員議員有志集め憲法問題研究する月曜会」を発足毎月第一第三月曜例会日とし、河井彌八参議院議長協力得て議長公邸会場とし参議院速記者罫紙使用した公式的な性格研究会として活動した研究会はa)日本国憲法制定の経緯記録、b)日本国憲法の解釈論(問題点検討)、c)改正案作成3点主たる目的とし、政党意見世論超越して健全な改正案将来参考のために残そうとするものであった1956年7月第4回参議院議員通常選挙全国区自由民主党から三たび出馬する落選同時に河井彌八落選したことで参議院議長として河井支援期待することが出来なくなったことから、月曜会従来のように参議院速記者使用することや、議長公邸使用したりすることが困難になった。そこで1958年3月10日月曜会」を改組して「憲法研究会」とし、その初回それまで検討され内容を「日本国憲法研究会草案」(実態小林による試案)としてまとめた。憲法研究会1959年10月ころまでは活動したが、主要参加者次第死去するなどして自然消滅した。なおこの月曜会憲法研究会活動速記録日本国憲法制定過程の裏側がわかる貴重な資料であり、2010年参議院保管から偶然発見され2014年翻刻公刊された。

※この「憲法研究と改正への熱意」の解説は、「小林次郎」の解説の一部です。
「憲法研究と改正への熱意」を含む「小林次郎」の記事については、「小林次郎」の概要を参照ください。

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