初代A30/31/32/33型とは? わかりやすく解説

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初代(1964年-1986年)A30/31/32/33型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 07:13 UTC 版)

三菱・デボネア」の記事における「初代1964年-1986年)A30/31/32/33型」の解説

1963年昭和38年)のモーターショーデビューし1964年昭和39年)に製造開始以後1986年モデルチェンジまでの22年間、基本設計デザインの変更無し生産され続けたことから、製造期間後期以降古色蒼然とした現行モデルであることを形容した「走るシーラカンス」という通称有名になった。日本製自家用白ナンバー)向けセダン型乗用車でこれを上回るほど長期間製造された例は、トヨタ・センチュリー初代モデル1967年 - 1997年)のみである。 1960年代初頭三菱重工業当時)は国内競合メーカーの2,000cc級乗用車比肩するクラス乗用車生産目論んでいた。当初欧州車導入検討されイタリアフィアット高性能知られ最新型セダンフィアット・1800/2100」シリーズライセンス生産打診したが、不調に終わっていた。 このため三菱では自社開発方針切り替えた構造モノコックボディ前輪ウィッシュボーン独立後輪楕円リーフリジッドで後輪駆動という、平凡だ手堅いレイアウトとし、全長全幅とも道路運送車両法施行規則小型車規格ぎりぎりサイズ設計された。また、三菱重工業企業パンフレットでは「回転半径5.3mの機動性随一で,国情マッチし使いやすさで他の追随許しません」と説明されており、取り回し良さ重視した設計であったことが伺われる。 スタイリングは、元ゼネラルモーターズデザイナーであるハンス・S・ブレッツナーが担当した1960年代アメリカ製大型乗用車デザインモチーフとし、ボンネット・テール部分両脇エッジ立てフロントグリル広く取った押し出しの強いスタイルは、その雰囲気から見た目こそかなりの大型見えるが、日本では小型車扱い5ナンバー規格に収まるサイズである。。 1965年5月オートマチックトランスミッション(AT)、前席電動セパレートシート、パワーウインド、パワーステアリング装備したパワー仕様追加1967年12月一部変更インパネ衝撃吸収タイプ変更される 1969年4月仕様変更でフロントディスクブレーキを標準装備すると同時にホイール14インチ化。テールエンドフィニッシャーいわゆるロケットテール)の廃止1970年9月マイナーチェンジ同時に搭載エンジン変更型式A31変更。「デボネア・エグゼクティブ」となる。当初直列6気筒のKE64型1,991ccOHVから、新開発の6G34直列6気筒1,994ccSOHC(サターン6エンジン)に変更され130馬力パワーアップした。これらは少な生産量によるコスト制約から、既存4気筒エンジン気筒数を2気筒増やした設計とし、4気筒エンジン生産設備利用して熟練工技術限定生産されたものである1973年10月大幅なマイナーチェンジ後期形移行フロントドア三角窓廃止、テールランプデザイン変更(Lテール廃止)、フロントウインカー位置変更1976年6月再度マイナーチェンジで「デボネア・エグゼクティブSE」(C-A32)となり、エンジンが2.6Lになり3ナンバーとなる。ラジアルタイヤ、および電動リモコン式タルボフェンダーミラーなどを標準装備すると同時にオプションエアコントランク組み込みタイプクーラーからヒーター組み込み型になる。マニュアルトランスミッション車廃止オイルショック後コスト削減排ガス規制で、条件厳し在来6気筒エンジン(6G34・1,994ccSOHC)の生産をやめ、量産車用のバランサーシャフトサイレントシャフト付き直列4気筒SOHC限界一杯まで排気量拡大した昭和51年排出ガス規制適合G54B型2,555cc・120馬力エンジン換装されている。このエンジン一般には2,600ccと称し以後最後までこの大排気量4気筒のまま生産された。 1978年4月昭和53年排出ガス規制適合型式がE-A33になる。 1979年6月一部変更昭和54年騒音規制適合となる。外観カラーリングのみの変更であったが、内装シート形状変更されシート地もジャガードからベロア変更。後席でも操作可能の後席ラジオコントロール機能備えた電子チューナーラジオを採用ABS相当するアンチスキッドブレーキという安全装置メーカーオプション設定された。 1982年11月一部変更フロントグリルエンブレムを「2600」から「MMC」に変更同時にトランクリッドの「MCA-JETエンブレム廃止変速機コラムシフトマニュアルトランスミッションのほか、3速ATも用意された。最終期の2,600cc直4エンジン車はATのみの設定。AT本体アメリカ合衆国大手変速機メーカーボルグ・ワーナーロングセラー製品である「BW-35」型3速ATが、初期型から最終型まで一貫して用いられた。 三菱自動車フラッグシップであったことから、三菱グループの各企業重役専用車として多用される一方6気筒エンジンしかなかったため、競合他車のトヨペット・クラウン日産・セドリックプリンス・グロリアなどに比べ割高感があったこと(発売当初は、競合他車の上グレード相当するモノグレードのみ。翌5月パワー仕様という更に上級グレードいち早く導入)、また、そのことから当時は割と重視されていたタクシー需要見込まれず、販売拠点整備遅れていたため、シェア争い敗退する。また、そのイメージ嫌った企業(特に、非三菱系列大企業関係者)に敬遠された。更に、70年代に入ると、基本設計デザイン徐々に古臭さが目立つようになり、結果として一般ユーザーにはほとんど売れなかったのが実情であった。 しかし古き良き時代アメリカ車風の雰囲気保ちつつ1980年代半ばまで生産されていたことが、後には逆に独特の希少性を産むことになった初代デボネアより長い27年継続生産されていた日産のY31型セドリックでも類似のケース見られた)。モデル末期にはブライダル用として人気高まり特装車として後席左側屋根が開くブライダル仕様作られるほどであった三菱水島製作所改造により、後期形ベースでオープンボディとしたパレードカー仕様製作されている。 生産終了後になってからの近年、古い自動車の中では程度良い個体手に入りやすく、生産期間中の不人気車ぶりとはうって変わって旧車好きの間で人気高まったローダウン派手な塗装を施すなど、アメリカ風にアレンジする改造ベースにもなっている。このため2000年代以降は、程度良い個体新車時からフルノーマル仕様)、ないし1973年までのフロントドア三角窓&リヤのLテールテールランプ仕様高価取引されている。さらに初期A30型(KE64型OHV搭載)は極端に流通台数少な希少モデルであったため、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』作中では「動く60年代生き証人現代反逆児」「(運転者及び所有者は)どんな思想持ってるやつか知れん」と揶揄される場面があった。 なお法人需要多かった関係から、現存する個体黒塗が多い。 1973年改良型 エグゼクティブ リア

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