初代500とは? わかりやすく解説

初代500(1936 - 1955年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 17:16 UTC 版)

フィアット・500」の記事における「初代500(1936 - 1955年)」の解説

1936年発表され2人乗り超小型車で、1955年まで製造された。500Aとその改良による系列車両の500Bと500C該当する小型車ではあるが、発表当時としては高度なメカニズム多数取り入れ戦前・戦後通じて大きな商業的成功収めたモデルであり、系列車は総計60台が生産された。 ハツカネズミ意味するトポリーノ”の愛称呼ばれたが、この愛称は、その小柄なボディ小さなエンジン機敏に走り回るさま、そして前期モデルシリーズにおける、丸みのあるボンネット脇のやや高め位置外付けされたヘッドライトなどによる愛嬌ある外観から名付けられたものである1930年代中期フィアット社では1932年発表した1000cc級の小型車・508「バリッラ」の販売好調な状態であったが、当時フィアット総帥であるジョヴァンニ・アニェッリは、大衆向け自動車市場さらなる開拓目論み、バリッラよりも小型乗用車市場送り出すことを企画した開発当たったのは元航空機技術者のアントニオ・フェッシアを中心とするチームで、この中に後のフィアット主任技術者として数々傑作車を開発することになるダンテ・ジアコーサがいた。 フィアットは、すでにバリッラアメリカクライスラー流儀倣った4輪油圧ブレーキ鋼製ボディ採用していた。また1935年発売され6気筒エンジン中級車“フィアット1500”では、当時としては前衛的な空力流線型スタイル効果で、1クラス上の旧型2L車を凌ぐ性能確保することに成功、さらに同車前輪独立懸架採用していた。それらの先行成果は、新しいミニマムカーに惜しげなく応用された。 こうして開発された初代500は、当初5,000リラという激安価格での販売計画されていたが、高度なメカニズム詰め込んだ結果製造コスト想定以上にかかり、実際販売価格は8,900リラにまで跳ね上がってしまった。それでも従来自動車比べれば大幅に廉価であったことから、イタリア大衆からは歓迎され派生型商用モデルの展開も手伝って当時の「国民車」として大成功収めた戦時中生産中断はあったものの後継車種の500Bにマイナーチェンジされる1948年生産終了までに約12万2千台が生産された。 500Bのイタリア本国での売れ行き戦後も順調で、1949年にはボンネット周り1940年代アメリカ車風にヘッドライトフェンダー埋め込み化するなど近代的デザインチェンジした500C登場1951年追加された4座ワゴンタイプの「ベルベデーレ」を含むトポリーノ系列は、生産期間末期まで好調な販売維持し後継車種リアエンジン600セイチェント)が発売される1955年まで生産された。 また、フィアット資本入ったフランスシムカでもシムカ5(サンク)の名前で1937年から同型車両ノックダウン生産された。フランスにおいて当時同等サイズミニカーがなかったことからヒット作となったが、戦後1946年ルノー・4CV1948年シトロエン・2CVという近似クラス4ドア4人乗りフランス大衆車発売されると、2人乗りの不利さから急激に販売減らし1950年までに生産中止となっている。

※この「初代500(1936 - 1955年)」の解説は、「フィアット・500」の解説の一部です。
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