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人物・組織・思想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 23:28 UTC 版)

アジア主義」の記事における「人物・組織・思想」の解説

興亜会 1880年海軍軍人中国での情報活動従事していた曽根俊虎などを中心に設立された。琉球処分壬午事変などで日清関係が悪化していくなかで両国平和的な提携論を標榜し最初アジア主義団体とされている。駐日公使何如璋清政府関係者支持も受け、日清提携のための中国語での機関誌発行語学教育力を入れた。のち亜細亜協会改称し東亜同文会設立されるとこれに合流した東邦協会 陸軍小沢豁郎白井新太郎らが中心となって設立副島種臣初代会長とし、清の地下組織哥老会」を利用して革命起こそうとした。その後東亜同文会合流した善隣協会 興亜会から分離した吾妻兵治、岡本監輔らが内蒙古における医療・教育援助目的として設立した善隣講書館が前身和書洋書漢訳出版し中国輸出した。のち陸軍少将依田四郎協力し善隣協会専門学校設立された。一部東亜同文会合流した東亜同文会 戊戌の政変により日本亡命した康有為梁啓超支援きっかけ作られ政教社系の東亜会と、中国商業活動担っていた大陸浪人組織した同文会合併により1898年発足した初代会長近衛篤麿で、東亜同文書院経営主な活動とした。 岡倉覚三天心ボストン美術館東洋部(中国・日本部)部長1903年イギリス出版社から刊行され英文著書The Ideals of the East』(東洋の理想)の冒頭に「Asia is one.」(「アジア一つである」)という著名な一節がある。この文言は、没後本人意図とは切り離され大日本帝国によるアジア侵略や「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」を正当化する論理利用されたことが指摘されている。 植木枝盛愛国志林』、『愛国新誌』などで独自の小国主義アジア連合論を展開。清朝朝鮮との戦争反対し、アジアの被抑圧からの独立振興主張した樽井藤吉 1885年、『大東合邦論』を執筆し日本朝鮮対等合併による「大東国」建国主張した大阪事件連座して下獄したため原稿日本文)を散逸し日清戦争直前1893年漢文出版した犬養毅 頭山満親友盟友東亜同文会会員中国から亡命してきた孫文蔣介石インドから亡命してきたラス・ビハリ・ボースらをかくまう玄洋社 頭山満主宰福岡県拠点にし、中国孫文や、朝鮮金玉均援助した日露戦争時には、馬賊編成しロシア軍後方撹乱した。在野立場貫き日本政府の「大東亜共栄圏構想与しなかったため、のち迫害され立場になった広田弘毅正規メンバーだったといわれる黒龍会 内田良平主宰朝鮮での甲午農民戦争時に東学連携しつつ清軍を挑発するために派遣され玄洋社別働隊天佑侠」を起源としている。なお名称の「黒龍」とは黒い龍ではなく黒龍江アムール川)を指す。 中国同盟会 宮崎滔天梅屋庄吉和田三郎北一輝らが参加東遊運動開始し辛亥革命協力した金玉均「三和主義」三和主義発案者三和主義唱えた三和主義とはアジア主義東アジア特化させた、特に大韓帝国大清帝国大日本帝国焦点をあて衰運挽回する事を唱えた欧米列強立ち向かうべきだと主張した所謂自主独立共存共栄である。 孫文「大アジア主義講演」 1924年11月日本の神戸で講演し、「日本西洋覇道鷹犬になるのか。東洋王道干城になるのか」と述べる。東洋仁義道徳を、世界秩序基本すべきである主張し日本政府に対して中国との不平等条約改正することを暗に求めたカラハン宣言により不平等条約破棄したソビエト連邦王道の側に立つ国家とし、日・中・ソの提携提唱している点に特徴がある。 汪兆銘 汪兆銘国父孫文大アジア主義意思継承した人物1912年1月1日南京孫文臨時大総統就任し列国向かって中華民国成立宣言発表したが、この宣言起草行った日中戦争中には徹底抗戦主張する蔣介石対し日中共存共栄こそ中国国民幸せに至る道であると確信し中国共産党蔣介石とは異なる独自の道を目指した。「一面抵抗一面平和」の哲学のもと日中和平唱え奔走したがついに叶わなかった。 李大釗 新文化運動中心的人物、後に中国共産党創設者一人となる。1919年論文『大亜細亜主義与新亜細亜主義』で旧来の大アジア主義代わるアジア主義掲げてアジア連邦説いた大陸浪人 大陸政治活動をしていた者たちの総称征韓論大陸渡った不平士族たちがルーツとされ、日本欧化政策への反感から国家主義アジア主義傾向する者が多かった東亜協同体論 1930年代末(日中戦争初期)、東アジア地域において民族・国家超克する協同体建設主張したもの。当時近衛文麿首相ブレイン集団である昭和研究会中心に構想され、三木清蠟山政道尾崎秀実新明正道らが主要な論者となったスバス・チャンドラ・ボース 自由インド仮政府樹立しインド独立達成することで、東南アジアなどにその輪を広げアジア人によるアジア建設目指した。 マハトマ・ガンディー 非暴力主義掲げてインドはじめとする植民地支配民族独立運動展開したオットー・シュトラッサーナチ党の最左派リーダーで後に脱党し黒色戦線組織。「反西欧帝国主義資本主義」の「ナショナル・ボルシェヴィズム」の立場からインド独立闘争全面的に支持三浦襄 最後まで大東亜共栄圏理想信じて行動した日本人平野義太郎 マルクス主義者であるが、転向後、中国華北部での自然村調査などをへて、1945年に『大アジア主義歴史的基礎』において、大アジア主義主張同書近年、「日本におけるアジア主義終着点」とも評価され見直されはじめている。 町井久之通名本名鄭建永戦後活動した右翼活動家・ヤクザ任侠世界からはのちに引退し実業家へ転身)。在日韓国人ありながらも、大アジア主義標榜し反共・反北朝鮮盛り込んだ思想団体東声会(後に東亜会東亜友愛事業組合改称)」を設立。「一朝有事備えて全国博徒親睦大同団結のもとに、反共防波堤となる強固な組織作る」という児玉誉士夫呼び掛けで、「東亜同友会設立構想にも参画する鹿島守之助 参議院議員鹿島建設会長。「汎欧州」を掲げ欧州連合の父クーデンホーフ=カレルギー伯爵構想に基づき「汎アジア」を提唱田中清玄 戦前日本共産党中央委員長から転向し戦後活動した右翼活動家・実業家クーデンホーフ=カレルギー伯爵鹿島守之助親しくし、中国鄧小平インドネシアスハルト大統領に「アジア連盟」を提起

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