依田四郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 依田四郎の意味・解説 

依田四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/29 14:25 UTC 版)

依田四郎

依田 四郎(よだ しろう、1882年明治15年)12月12日[1]1957年(昭和32年)1月3日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将満州国蒙政部次長。

経歴

大分県出身[2]1903年(明治36年)11月、陸軍士官学校(15期)を卒業[3][4]1904年(明治37年)2月、歩兵少尉に任官[4]1915年大正4年)に陸軍大学校(27期)[4]を卒業した[3]浦塩派遣軍参謀、第20師団参謀、久留米連隊区司令官、歩兵第23連隊長、第4師団参謀長を歴任した[1][3]1931年(昭和6年)、陸軍少将、歩兵第38旅団長となり、満州事変の際には混成第38旅団長として出動した[2]1933年(昭和8年)、待命、予備役[2]

予備役後は満州国で興安総署次長、蒙政部次長を務め、1937年(昭和12年)に退官した[3]1939年(昭和14年)に満洲天産株式会社社長に就任した[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ a b 大衆人事録 1935, p. ヨ72.
  2. ^ a b c d 日本陸軍将官辞典 2001, p. 801.
  3. ^ a b c d e 満洲紳士録 1940, p. 1296.
  4. ^ a b c 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』194、200頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」194頁。
  6. ^ 『官報』第6228号「叙任及辞令」1904年4月8日。※長西四郎と記載。
  7. ^ 『官報』第6648号「叙任及辞令」1905年8月26日。※長西四郎と記載。
  8. ^ 『官報』第8185号「叙任及辞令」1910年10月1日。※長西四郎と記載。
  9. ^ 『官報』第976号「叙任及辞令」1915年11月1日。
  10. ^ 『官報』第2500号「叙任及辞令」1920年12月1日。
  11. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第11版』帝国秘密探偵社、1935年。 
  • 中西利八編『満洲紳士録 第3版』満蒙資料協会、1940年。 
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「依田四郎」の関連用語

依田四郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



依田四郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの依田四郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS