チリの家事調停
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:00 UTC 版)
チリは、ピノチェトの軍事独裁を産んだことはあるが、近代以降、中南米諸国の中では総じて政情が安定し、比較的しっかりした法治国家と評されている。同国は経済的にも発展し、2010年には南米諸国で最初の経済協力開発機構加盟国になり、包括的及び先進的な環太平洋経済連携協定 (TPP11) の原協定署名国になっている。以下に述べるとおり、チリの家事調停は、制度設計の面でも運用面でも国家の介入が比較的強いため、民間の調停人を活用した公営の裁判外紛争処理制度とみることができる。 南米では、チリに先行して、コロンビアが「裁判所の負荷を緩和し、裁判外処理を実施する仕組を創設するための1991年法律第23号」により家事紛争の分野に合意支援を導入し、アルゼンチンが法律第24,573号(合意支援及びあっせん法)(1995年)により民事事件・家事紛争の分野に包括的な調停前置主義を導入していた。 ハーバード流交渉術を基にした合意支援の技法は、アルゼンチンで現地化され、チリの実務家は、アルゼンチンに学んだ技法を自国に導入した。そして、コンセルタシオン・デモクラシア政権の下で、家事紛争に関する司法制度の改革が企図された。当時の政権は、伝統的な対審構造の司法手続は家庭内紛争の解決には不向きであると考え、1997年11月3日に下院に対し、家事紛争の分野への合意支援の導入等を盛り込んだ法案を提出した。同法案には、現行の家裁創設法と同様の事件類型(後述)について義務的調停を行う旨の規定も含まれており、2001年5月30日に下院に提出された同法案の差替案も、この規定を維持していた。しかし、上院では義務的調停による手続遅延のおそれが懸念されたほか、義務的調停が合意支援の自発性の原則と整合しないとの指摘もあり、結局、2004年8月25日に公布された家庭裁判所を創設する法律第19,968号(同月30日施行)には、義務的調停に関する規定が置かれなかった。 ところが、法律第19,968号が施行された直後から、特に大都市部の家庭裁判所は大量の事件処理に追われ、頻繁に審理を遅延させた。立法前の想定では、家事調停が家事紛争の25%程度を処理し、家庭裁判所の負担を緩和すると期待されていたが、実際には、家事調停の件数は家事紛争の10%にも満たなかった。そのため、政府は早くも2006年8月17日に下院に対し、法律第19,968号の改正法案を提出し、一部の事件類型に義務的調停を導入することなどを提案した。2008年8月28日、法律第19,968号に基づく組織及び手続の改正を導入する法律第20,268号(2008年)が公布され、家事調停の手続が改正された(以下、改正後の法律第19,968号を「家裁創設法」と言う。)。 家裁創設法103条による調停の定義は、典型的な合意支援そのものである。また、同法105条が掲げる調停の原則も、合意支援の理念型と一致する。しかし、ある論者 によると、アメリカの文化を不確実性受容的、個人主義的、能動的、水平的、論点集約的な文化だとすれば、チリの文化は不確実性回避的、集団主義的、受動的、垂直的、多面展開的な文化であり、チリ人当事者は、調停人に「先生」あるいは「交通整理のお巡りさん」の役目を期待するために、調停に評価的 ( evaluative ) 手法が用いられる傾向があると言う。 調停人は民間人であるが、調停人が同法に定める家事調停を主催するには、専門課程を修めた学歴を有し、家庭内暴力等による前科がなく(同法112条4項)、その他控訴院が定める資格要件を満たし(同法113条1項)、司法省が管理する調停人登録簿に登載されることが必要である(同法112条1項)。調停人登録簿に登載される調停人は、司法省が地域毎の需要予測に基づき調停人の定員を定め、競争入札を行うことによって選別される また、調停人の業務地域は、最小でも、家事紛争に関する権限を有する第一審裁判所の管轄区域に対応するものでなければならないとされており(同条2項)、業務供給の地域的偏在を緩和する対策が採られている。この業務の地域的制限に対しては、調停人の側から疑問の声も上がっている 義務的調停についても、任意的調停についても、調停人の指名は当事者の合意によるのが原則であるが(同法107条1項1文、2項2文)、指名の合意ができないとき又は当事者が裁判所に指名を委ねたときは、裁判官が調停人を指名する(同条1項2文、2項3文、3項以下)。同条が求める調停業務の公平な分配を実現するため、SIMEF ( Sistema Informático de MEdiación Familiar ) と呼ばれるコンピュータシステムが整備されており、実際の指名手続と第1回調停期日の指定手続は、裁判所で行われる。 家裁創設法が規律する家事調停の対象は、家庭裁判所の権限に属する事項全般であるが(同法106条4項、8条)、家庭内暴力に関する法律第20,066号を適用する余地のある事件は、例外的な場合にのみ調停の対象となる(家裁創設法106条6項、96条、97条)。 扶養の権利、子の身上監護及び親の面会権については、婚姻から生じる役目又は義務の著しい違反を構成する婚姻破綻事由がある場合を除き、訴えを提起する前に調停を試みることが必要である(同法106条1項、2項、法律第19,947号54条;義務的調停)。義務的調停は、当事者については原則として無償であるが、これを賄うに足りる資力を有する者は、その全部又は一部の負担を求められることがある(家裁創設法114条1項、2項)。 義務的調停事項以外の事項(任意的調停事項)については、調停を行うことについて当事者間に合意があるとき、又はその事項に関する訴えの提起を受けた裁判所が調停案内を行い、裁判所の調停案内を当事者が受諾したときに、調停が行われる(同法106条4項、107条2項)。代表的な任意的調停事項としては、子の教育方針、親権の行使、子の出国の許可、経済的補償( compensación económica ;日本法の概念で言うと、離婚後扶養に似た制度)、家族資産の宣言( declaración de bienes familiares ;配偶者の一方がその特有財産を家族の生活基盤として宣言すると、以後、これを処分するには配偶者の他方の同意が必要になるという制度)、財産の司法分離( separación judicial de bienes ;日本法の概念で言うと、婚姻関係破綻が公認された(司法分離)ときに行われる財産分与に似た制度)、婚姻関係の解消などが挙げられる。もっとも、人の民事上の地位に関する事項であって民事婚姻法の適用範囲にある事件を除くもの、禁治産宣告、未成年者虐待の事件及び未成年者養子縁組の手続は、当事者の任意処分に委ねるべきでないため、調停の対象とすることが禁止される(同法106条5項)。任意的調停の費用は原則として当事者が負担するが、負担額には上限があり、かつ、資力の乏しい当事者がいる事件では当事者双方がその負担を免除される(同法114条2項、法律第19,968号の調停人登録簿に登録された調停人が受領することができる新しい上限料金を定める2016年12月30日司法省令、Ministerio de Justicia, División Judicial Costos de la Mediación Previa y Obligatoria )。 家事調停の申請件数は、家裁創設法の改正以降増加傾向が続いており、2017年には年間246,957件に達した。統計によると、家事調停は当事者が調停実施機関に対して自発的な申請をすることにより開始されるのが通例であるが、大都市(サンティアゴ、バルパライソ、コンセプシオン)を抱える比較的人口の稠密な地域では、その他の地域と比較すると、人口比以上の申請件数があり、かつ、裁判所又は司法扶助法人 ( Corporaciones de Asistencia Judicial ) からの案内により申請された家事調停が多い。このことは、大都市部に未成年の子女を抱える夫婦(家事調停の対象となる紛争の母体)が集中していることと、地方では調停の需要の掘り起こしや調停人へのアクセスに改善の余地があることを示唆している。 また、司法省は、研究者に委託してECAMEと呼ばれる調停の質の評価手法を設定し、調査結果の分析と公表を行っている。その手法や分析結果については、Ministerio de Justicia, División Judicial Auditorías y estudios に掲載された各論文で紹介されている。ECAME の評価手法については様々な検討の余地があるとしても、ラテンアメリカ諸国の調停の質を比較可能にするという野心的な設計思想や、当事者の満足度が向上しているとされること は、注目に値する。
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