敏達天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/04/17 01:12 UTC 版)
| 敏達天皇 | |
|---|---|
| 第30代天皇 | |
| 先代 | 欽明天皇 |
| 次代 | 用明天皇 |
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| 誕生 | 538年? |
| 崩御 | 585年9月14日? |
| 陵所 | 河内磯長中尾陵 |
| 異称 | 渟中倉太珠敷尊 他田天皇 |
| 父親 | 欽明天皇 |
| 母親 | 皇后石姫皇女 |
| 皇后 | 広姫 額田部皇女 |
| 夫人 | 老女子 菟名子 |
| 子女 | 押坂彦人大兄皇子 竹田皇子 糠手姫皇女 ほか |
| 皇居 | 百済大井宮 訳語田幸玉宮 |
在位期間は、敏達天皇元年4月3日(572年4月30日?)から同14年8月15日(585年9月14日?)まで。和風諡号は渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと[1]。『古事記』では沼名倉太珠敷命)。別名、他田天皇。
目次 |
系譜
- 皇后(前):広姫(ひろひめ、息長真手王の女) 敏達4年(575年)薨去
- 皇后(後):額田部皇女(ぬかたべのひめみこ、後の推古天皇)
- 夫人:老女子(おみなご、春日臣仲君の女)
- 采女:菟名子(うなこ、伊勢大鹿首小熊の女)
- 太姫皇女(ふとひめのみこ、桜井皇女・布斗比売命)
- 糠手姫皇女(ぬかでひめのみこ、田村皇女・宝王・島皇祖母命) 押坂彦人大兄皇子の妃・舒明天皇の母
即位
欽明天皇と石姫皇女との間の息子である。欽明天皇は継体天皇と手白香皇女(仁賢天皇と春日大娘皇女との間の娘)との間の息子であり、石姫皇女は宣化天皇(継体天皇の皇子)と橘仲皇女(手白香皇女の同母妹)との間の娘であるため、父方・母方の双方からそれぞれ継体天皇・仁賢天皇・雄略天皇の血を引いている。
同母兄・箭田珠勝大兄皇子が欽明天皇13年(552年?)4月に薨去したことを受け、同15年1月7日(554年2月24日?)に皇太子となる。因みに、同母の兄弟姉妹として他に笠縫皇女がいる。異母の兄弟姉妹としては、用明天皇・推古天皇・桜井皇子(吉備姫王の父)・穴穂部間人皇女(用明天皇の皇后・聖徳太子の母)・崇峻天皇らがいる。
欽明天皇32年4月15日(571年5月24日?)に欽明天皇が崩御したことを受け、敏達天皇元年4月3日(572年4月30日?)即位。
敏達天皇4年1月9日(575年2月4日?)に息長真手王の女、広姫を皇后としたが、同年11月に崩御。翌同5年3月10日(576年4月23日?)、16歳年下と言われる異母妹の額田部皇女を改めて皇后に立てた。尚、欽明天皇32年(571年?)に額田部皇女を既に妃としており、何故皇女であるにもかかわらずそうでない広姫が当初皇后となったのかは不明。
皇居
初め百済大井宮(くだらのおおいのみや、大阪府河内長野市太井・奈良県北葛城郡広陵町百済・大阪府富田林市甲田・奈良県桜井市など諸説あり)を皇居としたが、敏達天皇4年(575年?)、卜占の結果に従い、訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや、現在の奈良県桜井市戒重。他田宮)へ遷った。
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