敏達天皇 敏達天皇の概要

敏達天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/05 16:47 UTC 版)

敏達天皇
第30代天皇
先代 欽明天皇
次代 用明天皇

誕生 538年?
崩御 585年9月14日?
陵所 河内磯長中尾陵
異称 渟中倉太珠敷尊
他田天皇
父親 欽明天皇
母親 皇后石姫皇女
皇后 広姫
額田部皇女
夫人 老女子
菟名子
子女 押坂彦人大兄皇子
竹田皇子
糠手姫皇女 ほか
皇居 百済大井宮
訳語田幸玉宮
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在位期間は、敏達天皇元年4月3日572年4月30日?)から同14年8月15日(585年9月14日?)まで。和風諡号渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと[1]。『古事記』では沼名倉太珠敷命)。別名、他田天皇

系譜

天皇系図 26~37代

欽明天皇の第二皇子。母親は宣化天皇皇女皇后石姫皇女

  • 皇后(前):広姫(ひろひめ、息長真手王の女) 敏達4年(575年)薨去
    • 押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ、麻呂子皇子)
    • 逆登皇女(さかのぼりのひめみこ、坂騰王)
    • 菟道皇女(うじのひめみこ、宇遅王) 伊勢斎宮
  • 皇后(後):額田部皇女(ぬかたべのひめみこ、後の推古天皇
    • 菟道貝鮹皇女(うじのかいたこのひめみこ、菟道磯津貝皇女・静貝王) 聖徳太子の妃
    • 竹田皇子(たけだのみこ)
    • 小墾田皇女(おはりたのひめみこ) 押坂彦人大兄皇子の妃
    • 鸕鶿守皇女(うもりのひめみこ、軽守皇女・宇毛理王)
    • 葛城王(かずらきのみこ、古事記のみ)
    • 尾張皇子(おわりのみこ) 橘大郎女の父
    • 田眼皇女(ためのひめみこ、多米王) 舒明天皇の妃
    • 桜井弓張皇女(さくらいのゆみはりのひめみこ、桜井玄王・由波利王) 押坂彦人大兄皇子の妃・来目皇子の妃 
  • 夫人:老女子(おみなご、春日臣仲君の女)
  • 采女:菟名子(うなこ、伊勢大鹿首小熊の女)
    • 太姫皇女(ふとひめのみこ、桜井皇女・布斗比売命)
    • 糠手姫皇女(ぬかでひめのみこ、田村皇女・宝王・島皇祖母命) 押坂彦人大兄皇子の妃・舒明天皇の母

即位

欽明天皇と石姫皇女との間の息子である。欽明天皇は継体天皇手白香皇女仁賢天皇春日大娘皇女との間の娘)との間の息子であり、石姫皇女は宣化天皇(継体天皇の皇子)と橘仲皇女(手白香皇女の同母妹)との間の娘であるため、父方・母方の双方からそれぞれ継体天皇・仁賢天皇・雄略天皇の血を引いている。

同母兄・箭田珠勝大兄皇子が欽明天皇13年(552年?)4月に薨去したことを受け、同15年1月7日(554年2月24日?)に皇太子となる。因みに、同母の兄弟姉妹として他に笠縫皇女がいる。異母の兄弟姉妹としては、用明天皇・推古天皇・桜井皇子吉備姫王の父)・穴穂部間人皇女(用明天皇の皇后聖徳太子の母)・崇峻天皇らがいる。

欽明天皇32年4月15日(571年5月24日?)に欽明天皇が崩御したことを受け、敏達天皇元年4月3日(572年4月30日?)即位

敏達天皇4年1月9日(575年2月4日?)に息長真手王の女、広姫を皇后としたが、同年11月に崩御。翌同5年3月10日(576年4月23日?)、16歳年下と言われる異母妹の額田部皇女を改めて皇后に立てた。尚、欽明天皇32年(571年?)に額田部皇女を既に妃としており、何故皇女であるにもかかわらずそうでない広姫が当初皇后となったのかは不明。

なお、敏達天皇にも亡くなった年齢に差違があるという説が唱えられていて、それらの説では24歳[2]37歳[3]、48歳[4]、61歳[5]の諸説があり、次の代の用明天皇と同様、正確な没年齢は不明であるが、『皇代記』等の示す48歳説が現時点では採用されている有力な説ではある。

皇居

初め百済大井宮(くだらのおおいのみや、大阪府河内長野市太井・奈良県北葛城郡広陵町百済・大阪府富田林市甲田・奈良県桜井市など諸説あり)を皇居としたが、敏達天皇4年(575年?)、卜占の結果に従い、訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや、現在の奈良県桜井市戒重。他田宮)へ遷った。




  1. ^ 日本書紀』による
  2. ^ 『扶桑略記』、『水鏡』、
  3. ^ 『愚管抄』
  4. ^ 『皇代記』、『簾中抄』など
  5. ^ 『神皇正統記』、『仁寿鏡』
  6. ^

    御子、沼名倉太珠敷ぬなくらふとたましき命、他田をさだ宮に坐しまして、天の下治らしめすこと、十四歳とをまりよとせなりき。(この後は、六人の比売(ひめ)を娶(めと)り、二十四人の御子を儲(もう)け、この中御子の一人の御子が、つまり孫が即位したことを述べている。)(分注、甲辰の年の四月六日に崩りましき。)御陵は川内の科長しながにあり

    『古事記』敏達天皇段

    他田宮は、奈良県磯城郡。川内は、大阪府南河内郡


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