田眼皇女とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田眼皇女の意味・解説 

田眼皇女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 08:01 UTC 版)

田眼皇女
続柄 敏達天皇皇女

出生 敏達天皇14年(585年)以前
死去 舒明天皇元年(629年)以前?
配偶者 舒明天皇
父親 敏達天皇
母親 推古天皇
テンプレートを表示

田眼皇女(ためのひめみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代皇族敏達天皇皇女で、母は推古天皇舒明天皇の妃。

同母の兄弟姉妹に菟道貝蛸皇女聖徳太子妃)・竹田皇子小墾田皇女押坂彦人大兄皇子妃)・鸕鶿守皇女・尾張皇子橘大郎女父)・桜井弓張皇女(押坂彦人大兄皇子及び来目皇子の妃か)らがいる。

生涯

甥の舒明天皇の妃となり、子女は不詳とされている。父・敏達天皇が敏達天皇14年8月15日(585年9月14日)に崩御したことと、同母妹に桜井弓張皇女がいることから判断すると、遅くとも敏達天皇14年の生まれとなり、推古天皇元年(593年)生まれと言われる夫の舒明天皇より8歳以上年上となる。なおかつ桜井弓張皇女は田眼皇女の同母妹であるにも拘らず、舒明天皇の父・押坂彦人大兄皇子の妃となったと言われる。『日本書紀』の舒明紀には舒明天皇の后妃紹介記事に載せられていないことや、敏達・推古両天皇の皇女である彼女よりも天皇との血統が遠い(敏達天皇の曾孫)宝女王(のちの皇極天皇)が舒明天皇の皇后とされている点から、舒明天皇即位前に亡くなったと推測される。ただし、宝女王が実際に舒明天皇の皇后であったのかを疑う説[1]もあり、舒明天皇の后妃に関して『日本書紀』の曲筆の可能性も完全には排除できない。

脚注

  1. ^ 河内祥輔『古代政治史における天皇制の論理』(吉川弘文館、1986年)P54-60.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田眼皇女」の関連用語

田眼皇女のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田眼皇女のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田眼皇女 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS