皇后として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:26 UTC 版)
「アグネス・フォン・ポワトゥー」の記事における「皇后として」の解説
アキテーヌ公ギヨーム5世とその3番目の妃ブルゴーニュ伯オット=ギヨームの娘アニェスとの間に生まれた。父ギヨームは1030年に死去し、母アニェスはアンジュー伯ジョフロワ2世と再婚した。アグネスは初めはアキテーヌで、後に母方の叔父ブルゴーニュ伯ルノー1世の元で育った。ブザンソンの叔父の元にいるときに、ローマ皇帝ハインリヒ3世に見初められ、1043年にハインリヒ3世と結婚した。1150年に長男ハインリヒ(後の皇帝ハインリヒ4世)が生まれ、クリュニー修道院長ユーグが洗礼代父となったが、ユーグをハインリヒ3世と引き合わせたのはアグネスであり、ユーグは後にカノッサの屈辱において、ハインリヒ4世を教皇グレゴリウス7世にとりなした人物の一人である。1055年に、1052年に生まれた次男コンラートが死去し、コンラートに与えられていたバイエルン公位がアグネスに与えられた。
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