小牧・長久手の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/12 13:08 UTC 版)
(長久手の戦い から転送)
小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)は、天正12年(1584年)に、羽柴秀吉(1586年、豊臣賜姓)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。当時は長久手ではなく長湫と表記された。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- ^ 家康自身は「一万余」を討ち取ったと主張している(『愛知県史』資料編12、381号他)。本願寺の記録で、顕如の右筆・宇野主水による『顕如上人貝塚御座所日記』には、その後の噂として「三千」程度が実際の死者だったと記されている。
- ^ 家康の侵攻を認める秀吉の書状が現存している。「天正壬午の乱 本能寺の変と東国戦国史」より
- ^ 3月7日に松平家忠のもとに酒井忠次は信雄が3家老を切腹させたので明日尾張に出陣すると連絡があり、翌日家忠は出陣した。参考文献の7、52頁。
- ^ 弟信孝を滅ぼした信雄は「天正十二年の春、自らも又亡ぼさるべきに極まって大きに驚き、徳川殿を頼み申され…」と家康に援助を乞うた。→参考文献の8、91頁。
- ^ 『改正三河後風土記』
- ^ 『長久手町史』本文編
- ^ この辺の展開は江戸時代中期以降の軍記物・家譜より散見される。実際問題として、岩崎城は長久手を通って三河国に出る隘路の直ぐ側にあり、これを落とすことは当然の処置である(日本戦史戦国編 河合秀朗 学研M文庫 2001年)
- 1 小牧・長久手の戦いとは
- 2 小牧・長久手の戦いの概要
- 3 政治史的意義 [編集]
- 4 外部リンク [編集]
長久手の戦いに関係した商品
- 【送料無料】小牧・長久手の戦いの構造 [ 藤田達生 ]楽天ブックス
- 浜松を代表する2つの名産品を詰合せ。美酒と美味を同時に味わえるセットです。【やまぶきセレクト】送料込 浜松酒造 静岡県産「出世城」と浜名湖山吹 うなぎ 蒲白焼き詰合せ(国産) OSK-S70V2S 【楽ギフ_のし宛書】うなぎ専門店 浜名湖山吹
- 【送料無料】コーエー定番シリーズ 信長の野望 天下創世with パワーアップキット楽天ブックス
- 長久手の戦いのページへのリンク







