野呂宗長
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野呂 宗長(のろ むねなが、1539年 - 1584年)は、戦国時代の武将。通称助左衛門、孫一郎。子に野呂助三郎 [1]。
略歴
森長可に仕え、剛の者として知られた。天正12年(1584年)3月に長可は羽黒の戦いで敗走した。助左衛門は追手の松平家信を瞬く間に組み伏せるも、あと一歩のところで家信の兵・松平貞治が助けに駆けつけ、助左衛門は討ち取られた[2]。
参考文献
- 『寛政重脩諸家譜第1輯』(栄進舎出版部 、1917年、121p)
- 『尾張志: 第9集』(愛知博文社 、1892年、102p)
脚注
- ^ 愛知博文社 1892, p. 102.
- ^ 栄進舎出版部 1917, p. 121.
外部リンク
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