DC3
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 21:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動DC3、DC-3
正式名称
- DC3 (バンド) - アメリカ合衆国のパンクバンド
コード、形式記号など
- ダグラス DC-3 - プロペラ機
- ダットサン・スポーツ DC-3 - スポーツカー。ダットサン・フェアレディ#歴史参照。
略称
- Device Control 3 - 制御文字のひとつ。en:C0 and C1 control codes参照。
- 国防総省サイバー犯罪センター - アメリカ国防総省の機関
- デスティニーズ・チャイルド - アメリカ合衆国の音楽グループ
- 商標・作品の題
- Return to Dark Castle (Dark Castle 3) - ビデオゲーム
- D.C.III 〜ダ・カーポIII〜 - パソコンゲーム
その他の名称
- アメリカ合衆国のテレビドラマ『コーリー ホワイトハウスでチョー大変!』に登場する架空のバンドの名。
関連項目
DC-3
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:18 UTC 版)
DSTはDC-2に比して機体幅が拡大されていたが、この大型化は良い方向に働いた。DC-2では客室中央通路の両側に座席を1列ずつ配置する2アブレストであったが、DSTの幅員であれば片側にもう1列増やした3アブレストとすることができたのである。従って寝台の代わりに通常座席を配置すれば、定員はDC-2の1.5倍、21人を確保できる。後には2+2の4アブレストとして前後のピッチも詰め、最大32人定員としたケースもある。 DST開発中から座席型輸送機の製作も計画されており、DST完成後すぐに派生型として、この広いキャビンを活用した通常座席型バージョンが開発された。これがDC-3である。DSTを試作済みであるので座席型の試作機は製作せず、当初から生産型としてロールアウトした。1936年9月にアメリカン航空の手で定期路線に初就航したDC-3は、短期間のうちに優れた運航実績をあげた。 DC-3の画期的な特徴は、DC-2に比して定員を5割増としながら、その運航経費は僅か3 %ほどの増に過ぎなかったという事実に端的に表われている。DC-3登場より前のアメリカ合衆国の航空旅客輸送は、旅客運賃収入だけでは必要なコストを賄えず、連邦政府の郵便輸送補助金を受けることで何とか成り立っていた。ところがDC-3はその大きな輸送力ゆえに、アメリカン航空のC.R.スミスの言を借りれば「補助金に頼らず、自らの運賃収入だけで運用コストをまかなえる最初の旅客機」になったのである。「運賃だけで収支が黒字になる輸送機」の出現は、商業航空輸送の発展におけるきわめて重要なエポックであった。 加えて、DC-3は1930年代中期の機体としては快速の時速200マイル級で巡航でき、飛行特性も非常に安定しており、エンジン脱着が短時間で可能であるなど整備もたやすく、ユーザーにとっては実に扱いやすい機体であった。これらはDC-2から受け継いだ美点であり、さらに収容力を大幅に向上させていたことは、まさに当時における理想の旅客機の具現化というべきものであった。そのデビュー後わずかの間に、トランス・ワールド航空、イースタン航空といった全米に航空網を持つ大手航空会社でこぞって採用され、当時のアメリカ民間輸送機市場を席巻、またヨーロッパでも英国海外航空やスイス航空などに導入される実績を収めた。その結果、純商業機だけでも600機以上が製造され、当時商業的にもっとも成功した旅客機となった。
※この「DC-3」の解説は、「ダグラス DC-3」の解説の一部です。
「DC-3」を含む「ダグラス DC-3」の記事については、「ダグラス DC-3」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- DC3のページへのリンク