DC-1とDC-2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:18 UTC 版)
「ダグラス DC-3」の記事における「DC-1とDC-2」の解説
トランスワールド航空のオファーを受けて、ドナルド・ダグラス率いるダグラス・エアクラフトが1933年に開発した試作機旅客機の「DC-1」と、次いで1934年に開発した量産型「DC-2」は、ともに低翼単葉の双発機であった。 これらは、全金属製モノコック構造を持ち、引き込み脚、可変ピッチプロペラ、高揚力確保のためのフラップを採用するなど近代的旅客機に不可欠とされる構造・装備をほとんど具備しており、進歩的な機体であった。DC-2の持つ、1930年代前期の双発旅客機としては多人数といえる14名の定員と、機内空間を有効活用できる合理的な胴体設計も大きな長所で、当時の航空会社から歓迎された。 アメリカン航空は1933年に、北米大陸横断航空路に初の寝台旅客機「カーチス・コンドルII」を就航させた。しかしこの機体は鋼管羽布張り構造の複葉機であるなど古典的な設計の機体であり、登場して間もない1930年代半ばには既に旧式化しつつあった。また、ボーイングが開発したボーイング247はその性能や技術は申し分のないものであったが、引渡しを系列企業であるユナイテッド航空に優先配分していた。このためアメリカン航空社長のサイラス・ローレット・スミスは、DC-2をベースにした寝台旅客機をダグラス社にオーダーすることにした。 その開発は1935年中頃から開始された。鉄道の寝台車同様のプルマン・スタイルの開放式寝台を配置するためには、DC-2は機体幅がやや不足することが指摘された。そこで機体幅が若干拡大された。 僅か半年余りで急ピッチの開発・製作が進められ、1935年12月17日に初飛行した。DC-2の拡大設計から始まったが、実際には機体の大部分を新設計せねばならなかった実情からすれば、これはかなりの早業である。この寝台機は、Douglas Sleeper Transport、略してDSTの名称で呼ばれた。DSTは14名分の寝台とキッチンを備え、途中一度の燃料補給のみで北米大陸を横断できる長距離快速機で、1936年6月25日に路線就航し、アメリカン航空の看板旅客機となった。
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