2005年 - 2013年(J2)
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「徳島ヴォルティス」の記事における「2005年 - 2013年(J2)」の解説
2005年 新入団の羽地登志晃(12得点)と小林康剛(11得点)のFW2人が二桁得点を挙げ、MF伊藤彰・DF大森健作・GK高橋範夫などの他の新戦力や、MF大場啓・MF片岡功二などの大塚時代からの選手も活躍し、7位の湘南と勝ち点2差の12チーム中9位に入った。 2006年 9月、大塚製薬から8年間チームを率いた田中真二が監督を辞任し、ヘッドコーチの東泰が監督に就任したが、就任直後に行われた愛媛との四国ダービーで敗れるなど、最下位の13位でシーズンを終えた。 シーズン終了後、東が監督を退任。また、大塚製薬の社員選手の内、大場と林は現役を引退。片岡はプロ選手契約を結んで大塚製薬を退社した。12月にクラブ事務所が徳島スポーツビレッジ(土地は板野町と大塚製薬が無料で貸与)に移転した。 2007年 クラブスローガン :「Re・ヴォルティス -再生への決意-」 今井雅隆が監督に就任。シーズン中に横浜FMからMF塩川岳人を獲得、羽地登志晃が甲府に移籍する一方で甲府からFW長谷川太郎が期限付き移籍で加入した。リーグ戦は2年連続の最下位に終わり、今井がこの年限りで監督を退任。 第43節から第50節にかけての7試合連続無得点敗北は、この期間を挟む757分連続無得点と共にJリーグ記録を作った(合計31得点もリーグ最少)。 2008年 クラブスローガン :「闘走!〜想いをひとつに〜」 京都元監督の美濃部直彦が監督に就任。DF青葉幸洋・DF筒井紀章・DF大森健作が現役引退、FW小林康剛・FW長谷川太郎らが退団した一方、DF西河翔吾・DF藤田泰成・MF米田兼一郎などJ1経験を持つ選手を補強した。 また、新外国人として、柏からFWドゥンビアを期限付きで獲得。ドゥンビアは2年連続最下位だったチームを上位チームにも互角の戦いを演じるなど徳島の戦力アップに貢献し、さらに5月にはコートジボワール代表に選出された(チーム史上初となるA代表選出)。しかし、ドゥンビアが6月にスイスのBSCヤングボーイズへ移籍してチームから抜けると全く勝てなくなり、第20節から第37節まで1勝も出来ず(4分け13敗)、3年連続で最下位に終わった。社長の髙本浩司は3年連続最下位の責任をとり辞任、新田広一郎が後任社長へ就任した。 第88回天皇杯も初戦(3回戦)で国士舘大学に敗北した。 2009年 クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 前進あるのみ」 美濃部体制2年目。監督以外のスタッフが全員退団し、新たなコーチを招聘。また、昨シーズンから15人の選手が退団し、期限付き移籍だった外国人選手3人も契約を更新せず、MF石原卓・DF西河翔吾もレンタル元に復帰した。一方で、MF徳重隆明・DF三田光・GK高桑大二朗・GK上野秀章・MF井上渉・DF筑城和人・DF三木隆司・MF青山隼などのJ1経験者やDFペ・スンジン・FWファビオ・GK日野優などを獲得、東海大学卒のFW佐藤晃大らが新加入した。また、シーズン中の8月にC大阪から元U-17日本代表のFW柿谷曜一朗を期限付き移籍で獲得した。シーズン成績は19勝5分17敗の9位(18チーム中)と前年を上回る順位でシーズンを終えた。第89回天皇杯は初戦(2回戦)で鹿屋体育大学に敗北した。 2010年 クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 不断前進」 美濃部体制3年目。FW柿谷曜一朗の期限付き移籍期間を延長、期限付き移籍だったMF青山隼を完全移籍で獲得、鳥栖からMF島田裕介、甲府からDF輪湖直樹、C大阪からMF濱田武とDF平島崇などの選手を獲得。また、名古屋からFW津田知宏を、広島からFW平繁龍一をそれぞれ期限付き移籍で獲得した。また、初の下部組織出身者としてユースからFW岡卓磨が昇格。7月にブラジルのトンベンセFCよりFWドウグラスが期限付き移籍で加入した。 開幕から4連勝で一時は首位に立つが、その後は守備の不安定さもあり、負けが込んで失速、最終的に8位となりJ1昇格は成らなかった。また、この年を最後に徳島ヴォルティス・セカンドが活動休止となった。第90回天皇杯は3年振りに初戦(鳥取戦)を突破したが、3回戦で浦和に敗北した。 2011年 クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 全力前進」 美濃部体制4年目。FW羽地登志晃やMF挽地祐哉が引退、MF青山隼が浦和に移籍した一方、名古屋からFW杉本恵太、鳥栖からMF衛藤裕、札幌からDF西嶋弘之、仙台からDFエリゼウ、神戸からGK榎本達也などをそれぞれ完全移籍で獲得。また湘南からDF島村毅、名古屋からGK長谷川徹を期限付き移籍で獲得した。また、7月に仙台から斉藤大介を完全移籍で獲得。センターラインを中心に新戦力を獲得した2011年は序盤は4-3-3での流動的攻撃をテーマに戦い、津田復帰後は主に佐藤と津田の2トップの4-4-2で戦った。 シーズン開幕から津田やエリゼウ、ドウグラス、DFペ・スンジンなど主軸を怪我で欠きなかなかフルメンバーが揃わなかったが、シーズンを通して昇格争いに絡み7月31日の第23節を終えた時点で首位に立った。その後は札幌・鳥栖の後半戦の巻き返しなどもあり、一時は5位まで順位を落とすが9月以降は上位戦や愛媛戦などで取りこぼしはあったものの、連敗は無く徐々に勝ち点を積み上げていった。 しかし、東日本大震災の影響で10月26日に延期されていた第7節のホーム札幌戦、11月27日のホーム鳥栖戦、最終節(12月3日)の岡山戦と3連敗。シーズン4位となり、J1昇格はならなかった。シーズン終了後、昇格を逃した責任を取る形で美濃部が監督を退任した。 2012年 クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 全ての力でJ1へ!」 美濃部の後任には山形元監督の小林伸二が監督に就任。 山形からMF宮崎光平、千葉からMF太田圭輔とDF福元洋平、FC東京からFW鈴木達也、名古屋からMF花井聖、栃木SCからDF那須川将大とDF大久保裕樹、札幌からジオゴをいずれも完全移籍で、FC東京からMF上里一将、浦和からMF青山隼をいずれも期限付き移籍で獲得(青山は事実上の復帰)。また期限付き加入していたFW津田知宏、GK長谷川徹が完全移籍に移行、FWドウグラスの期限付き移籍期間を延長したほか、前年8月に期限付き移籍していたGK阿部一樹がC大阪から復帰、DFエリゼウとは一旦戦力外としながらも再契約した。またシーズン中の6月に鹿島よりMFアレックスが期限付きで加入した。 一方で、GK上野秀章が引退してアカデミーコーチに就任、MF六車拓也とMF福島新太が契約満了で退団、DF島村毅が湘南に、FW柿谷曜一朗がC大阪へそれぞれ期限付き移籍満了で復帰、FW佐藤晃大がG大阪に、DFペ・スンジンが横浜FCに、DF輪湖直樹が水戸に、MF倉貫一毅が京都に、DF登尾顕徳が北九州に、MFディビッドソン純マーカスがMLS・バンクーバー・ホワイトキャップスに、MF島田裕介がKリーグ・江原FCにそれぞれ完全移籍。期限付き移籍中だったDF大原卓丈が東北1部・福島ユナイテッドFCに、DF安藤寛明がJFL・HOYO大分にそれぞれ完全移籍した。 開幕から2連勝で、第2節終了時に首位に立ったが、第3節から第11節まで3連敗2度を含む9試合勝ちなし(2分7敗)で第11節終了時に20位へ順位を下げた。第6節以降シーズン終了までの間は第26節から28節と第31節に12位となったのが最高で、一度も昇格争いに絡むことがなく、前年より大きく順位を下げた15位でシーズンを終えた。 2013年 クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 2013 跳動」 小林体制2年目。ヘッドコーチに山形元ヘッドコーチの長島裕明が就任した。 GKオ・スンフンが京都へ移籍、徳重隆明が契約満了で退団(プロ引退を宣言し東海1部・名古屋SCに入団)。「獲得のポイントは中央のライン」 との小林の意向を受け、名古屋からDF千代反田充、川崎(前年は東京Vでプレー)からMF柴崎晃誠、甲府からMF高崎寛之をそれぞれ完全移籍で、C大阪からGK松井謙弥、柏からGK川浪吾郎、広島からMF大﨑淳矢を期限付き移籍により獲得、期限付き加入中のMFアレックスが完全移籍に移行、FWドウグラスとの期限付き移籍期間を再延長した。また、大卒新人選手としてDF木下淑晶、DF藤原広太朗、FW佐々木一輝、MF李栄直を獲得した。 開幕から3試合未勝利(1分2敗)の後3連勝し、第6節終了時には一旦5位となるが、その直後に3連敗するなどし、結局前半戦は第6節を除き10位以下で、前半戦(第21節)終了時は15位であった。第22節の札幌戦からクラブ記録となる6連勝、第33節まで12試合連続負けなしを記録したことで、第33節終了時に3位に浮上した。第37節からの3連敗で6位に下げ、最終節の長崎との上位対決に敗れると7位札幌・8位松本の結果次第ではJ1昇格プレーオフ圏外に落ちる可能性もあった が、長崎との戦いを制しリーグ戦を4位で終えた。プレーオフ準決勝はホームで5位千葉と1-1で引き分けたが、規定により決勝に進出。決勝は3位京都に津田と千代反田のゴールで2-0で勝利してついに四国初のJ1チームが生まれた。
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2005年 - 2013年(東北リーグ1部)
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2005年 チーム初の外国人選手で元U-17カメルーン代表のディディエ・コウアカム、元ベガルタ仙台の西洋祐、元モンテディオ山形の大瀧直也など獲得。東北リーグ1部で初優勝、全国地域リーグ決勝大会は1次ラウンドを1勝1敗の成績で1次ラウンド敗退となった。 2006年 前年末に選手への給料や業者への未払金が1,000万円に達していることが明らかになり、経営陣と武藤が辞任し、岩手県紫波町出身の吉田暢が監督に就任した。また、同じく紫波町出身で元サガン鳥栖の佐藤大実を獲得。東北リーグ1部は2位の成績。 2007年 吉田体制2年目。スーパーアドバイザーの八重樫茂生が富士通サッカー部の総監督を務めていた当時の所属選手今井敏明がチャイニーズタイペイ代表の監督をしていたつながりから同代表GKの呂昆錡が入団した。4月30日にチャイニーズタイペイ代表との親善試合が盛岡南公園球技場で行われた(4-0で勝利)。東北リーグ1部で2年ぶりに優勝、全国地域リーグ決勝大会は2戦2敗の成績で1次ラウンドで敗退。 2008年 吉田体制3年目。守備面の強化を課題に挙げ下屋敷恒太郎、石井雄真ら12人の選手を獲得。東北リーグ1部は12勝2分の成績で2連覇。第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会は2年連続で1次ラウンド敗退となった。岩手県サッカー選手権大会で優勝して天皇杯に県代表として3年ぶりに出場。1回戦の山形大学戦で岩手県勢初勝利を挙げた。 2009年 吉田体制4年目。大船渡市出身で元ベガルタ仙台の中田洋介を獲得。西洋祐、大瀧直也、三戸雄志などもチームに復帰した。4月10日運営組織をNPO法人から株式会社(いわてアスリートクラブ)に移行。チーム顧問に八重樫茂生、チームアドバイザーに盛岡商業高校サッカー部監督の斎藤重信が就任した。東北リーグ1部で3年連続の優勝。第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会は3年連続で1次ラウンド敗退となった。 2010年 吉田体制5年目。徳島ヴォルティス元主将のGK島津虎史を獲得、その他徳島からレンタル移籍の菅原康太、大原卓丈など11名の選手が入団。また、練習環境の向上を掲げて夜間練習から日中の午前練習に移行しシーズンをスタートした。天皇杯は2回戦で札幌と対戦し敗退。東北リーグ1部は4年連続の優勝。第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会は4年連続で1次ラウンド敗退となった。シーズン終了後に中田洋介が引退した。 2011年 吉田体制6年目。3月11日に発生した東日本大震災の影響で東北リーグ開幕が延期。チームは被災地へ出向き、瓦礫撤去などのボランティア活動を行った。4月17日、横浜FCと練習試合(30分ハーフ)を行う(0-2で敗北)。会場の岩手県営運動公園陸上競技場には被災地から招待した小中学生を含む約13,500人の観客が入った。東北リーグは2位。第47回全国社会人サッカー選手権大会は2回戦でSC相模原に敗退。シーズン終了後に吉田が監督を退任した。 2012年 昨年度コーチを務めた鳴尾直軌が監督に就任。 2013年 2013年 地域決勝基本布陣 監督 鳴尾直軌 土井康平 (松下泰士) 守田創 小林亮太 石井雄真 田中舜 松田賢太 富井英司 髙瀬証 林勇介 森田真司 (森川龍誠) 佐藤幸大 (土井良太) 鳴尾体制2年目。8月20日にJリーグ準加盟クラブとして承認された。東北リーグ1部で3年ぶりにリーグ優勝。第49回全国社会人サッカー選手権大会で準優勝、第37回全国地域サッカーリーグ決勝大会で初優勝した。 12月2日、Jリーグ入会が承認され、2014年のJ3リーグ参加が決定した。
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