盛岡商業高校
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1977年に教員異動で母校でもある盛岡商業高校サッカー部監督に就任。行きすぎた先輩後輩の上下関係を正すところからはじめ、部員の父母会立ち上げやOB会組織などをバックアップ体制構築、関東遠征による練習試合などを行う。吉田暢らのいた1981年と1982年には第60回と第61回の全国高等学校サッカー選手権大会に連続出場し、第61回大会ではベスト8となった。また、1984年からは第63回、第64回、第65回、第66回、第67回、第68回と全国高校選手権に6回連続で出場する。1988年の第67回大会では準々決勝で、優勝する静岡市立清水商業高校にPK戦で敗れ、ベスト8となった。
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