高桑大二朗とは? わかりやすく解説

高桑大二朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/27 02:41 UTC 版)

高桑 大二朗
名前
カタカナ タカクワ ダイジロウ
ラテン文字 TAKAKUWA Daijiro
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1973-08-10) 1973年8月10日(51歳)
出身地 東京都世田谷区
身長 190cm
体重 82kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1988-1991 日本大学高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1996 横浜マリノス 0 (0)
1996 鹿島アントラーズ (loan) 0 (0)
1997-2002 鹿島アントラーズ 89 (0)
2002 東京ヴェルディ1969 (loan) 12 (0)
2003-2006 ベガルタ仙台 123 (0)
2007-2008 横浜F・マリノス 1 (0)
2009 徳島ヴォルティス 0 (0)
通算 225 (0)
代表歴2
2000[1] 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年12月5日現在。
2. 2000年10月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高桑 大二朗(たかくわ だいじろう、1973年8月10日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手ポジションゴールキーパー。元日本代表

来歴

クラブ

横浜マリノス時代は怪我が多かったため「ガラスのGK」とよばれていた。入団当初は日本代表でもあった松永成立が絶対的守護神として君臨しており、その後は2年後輩の川口能活が松永からレギュラーを奪って台頭したため、出番も殆どなかった。

1996年8月より鹿島アントラーズへ期限付き移籍[2]。1997年に完全移籍[2]。1998年、佐藤洋平の負傷中に正GKに定着し、2000年にはチームの三冠獲得に貢献してJリーグベストイレブンに選出された。

その後、試合中の怪我もあり曽ヶ端準に正GKの座を奪われ、2002年には前年に本並健治菊池新吉の両GKが引退した東京ヴェルディ1969へ期限付き移籍[2]。当初は正GKであったが、第14節サンフレッチェ広島戦以降は高木義成にその座を奪われて2003年からはベガルタ仙台へ移籍。移籍後は小針清允と激しく正GKの座を争い、2003年はシーズン途中で正GKの座を明け渡したが、J2に降格した2004年は正GKの座を奪取し、2006年途中まではその座を保った。ところが、7月12日の第27節ヴェルディ戦でかつて正GKを争った高木にゴールキックから直接ゴールを決められ敗れて以降、再び小針にレギュラーを奪われた。シーズン終了後に退団。

2007年、10年半ぶりに横浜F・マリノスへ復帰したが、マリノスでの公式戦出場は2007年の2試合のみにとどまった。2009年徳島ヴォルティスに所属し、同シーズン終了後、現役引退を発表した。

代表

2000年10月20日、AFCアジアカップ2000グループステージ最終戦のカタール戦にフル出場し[3]、唯一となる代表キャップを記録した。

引退後

2010年より横浜F・マリノス下部組織のGKコーチ(追浜のジュニアユース及びプライマリー担当)を務める。その傍ら同年10月30日には東日本放送にて中継のベガルタ仙台vs.京都サンガF.C.戦で解説を務め、以後は同局で仙台戦の中継が行われる際に解説者として来仙している。

2022年、川崎フロンターレのGKコーチに就任[4]

2024年3月、エリース東京FCのアドバイザー兼GKコーチに就任[5]。同年4月には自身が代表を務めるサッカーアカデミー「アグラレス サッカーアカデミー」を新百合ヶ丘新横浜で開校した[6]

2025年1月、FC東京のGKプロジェクトリーダーになった[7]

所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1992 横浜M - J - 0 0 0 0 0 0
1993 0 0 0 0 0 0 0 0
1994 0 0 0 0 0 0 0 0
1995 0 0 - 0 0 0 0
1996 0 0 0 0 - 0 0
鹿島 0 0 0 0 0 0 0 0
1997 29 0 0 0 0 0 0 0 0
1998 28 24 0 5 0 3 0 32 0
1999 21 J1 26 0 7 0 2 0 35 0
2000 30 0 4 0 4 0 38 0
2001 1 9 0 0 0 1 0 10 0
2002 東京V 12 0 5 0 0 0 17 0
2003 仙台 22 11 0 5 0 1 0 17 0
2004 J2 44 0 - 2 0 46 0
2005 43 0 - 0 0 43 0
2006 25 0 - 0 0 25 0
2007 横浜FM 21 J1 1 0 1 0 0 0 2 0
2008 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 徳島 1 J2 0 0 - 1 0 1 0
通算 日本 J1 113 0 27 0 11 0 151 0
日本 J2 112 0 - 3 0 115 0
総通算 225 0 27 0 14 0 266 0

その他の公式戦

個人タイトル

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(2000年)[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2000 1 0
通算 1 0

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2000年10月20日 ベイルート  カタール △1-1 フィリップ・トルシエ アジアカップ

指導歴

出典

  1. ^ a b “高桑 大二朗”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ta/daijiro_takakuwa.html 
  2. ^ a b c 高桑大二朗選手の期限付き移籍について』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、2001年12月29日。オリジナルの2002年1月5日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20020105103734/http://www.antlers.port.ne.jp:80/antlers/RELEASE/011229121450.html2018年8月17日閲覧 
  3. ^ AFCアジアカップレバノン2000 [ 2000.10.20 ] ベイルート 日本代表 カタール代表”. SAMURAI BLUE サッカー日本代表. 日本サッカー協会. 2018年8月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 高桑大二朗氏 トップチームGKコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2022年1月5日https://www.frontale.co.jp/info/2022/0105_1.html2022年1月5日閲覧 
  5. ^ 高桑 大二朗氏 アドバイザー兼GKコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)エリース東京FC、2024年3月8日https://www.aries-tokyo.jp/news/all/2208/2024年3月12日閲覧 
  6. ^ 元日本代表GK高桑大二朗氏、来月サッカースクール開講“3K”大切に子供たちへ技術や経験伝授 スポーツニッポン 2024年3月28日
  7. ^ a b 2025シーズンFC東京トップチーム編成について』(プレスリリース)FC東京、2025年1月10日https://www.fctokyo.co.jp/news/168432025年1月27日閲覧 
  8. ^ a b ナショナルコーチングスタッフ”. 日本サッカー協会. 2018年10月24日閲覧。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

日本のサッカー選手 森島康仁  中西永輔  高桑大二朗  相馬直樹  山口貴弘
サッカー日本代表選手 園部勉  中西永輔  高桑大二朗  相馬直樹  菅又哲男
ベガルタ仙台の選手 武藤雄樹  クレーベル・シュウェンク・ティエネ  高桑大二朗  岩本輝雄  飛弾暁
東京ヴェルディ1969の選手 飯尾一慶  鈴木健太郎  高桑大二朗  相馬直樹  マルクス・ビニシウス・デ・モライス
横浜F・マリノスの選手 田中裕介  中西永輔  高桑大二朗  マルクス・ビニシウス・デ・モライス  ハーフナー・マイク
鹿島アントラーズの選手 奥友敏朗  手倉森浩  高桑大二朗  相馬直樹  石川竜也
徳島ヴォルティスの選手 島津虎史  秋葉忠宏  高桑大二朗  柴村直弥  辻本茂輝
横浜マリノスの選手 ネストル・ゴロシート  グスタボ・サパタ  高桑大二朗  小泉淳嗣  小澤英明

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