鹿島時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/15 05:12 UTC 版)
Jリーグ開幕時には古川昌明にポジションを奪われ、ほとんど出場機会が与えられなかった。1994年に初めて試合出場するが、デビューから3試合で連続PK負けを喫した。 翌年の1995年に、古川の怪我もあり、実力と成長をアピールしたものの、まだ併用されている状態であり、ジェフ市原戦では、主力選手の約半数を欠き、さらに退場者も出た中、佐藤の好セーブなどで0対0でのPK戦に持ち込み、味方のミスキックがあったにもかかわらず自らが2本のPKを止めて、4-2で勝利した。 1997年にはジョアン・カルロス監督によって正GKに起用される。リーグ第1ステージとナビスコカップの制覇に貢献するが、ジュビロ磐田とのチャンピオンシップでは第2戦で中山雅史にボールを奪われて失点し、チームは優勝を逃した。しかし、同年の天皇杯では優勝した。しかし、1998年は膝を痛めて離脱し、高桑大二朗に正GKの座を奪われた。
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