住友金属→鹿島時代
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東京都出身。立教大学経済学部経済学科を卒業後、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。籠球団(バスケットボール部)に所属し、1964年東京オリンピックのバスケットボール競技において日本代表チームの一員として活躍した。現役引退後は立教大学体育会バスケットボール部の監督を経て住友金属の監督も歴任した。住友金属の監督退任後は社業に戻り、建設エンジニアリング事業本部副本部長などを歴任した。 1996年4月、住友金属が出資して設立されたJリーグ・鹿島アントラーズの運営会社「鹿島アントラーズ・エフ・シー」に出向し、常務取締役を務めた。2000年10月に退任。 鹿島退任後は2001年5月からバスケットボール女子日本リーグ機構専務理事を務め、2003年5月からバスケットボール女子日本リーグ機構顧問に就任。住友金属退職後は地元の千葉県で総合型スポーツクラブの立ち上げに尽力していたという。
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