住友鉱山株買い占め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 06:21 UTC 版)
1981年9月に金属鉱業事業団(現独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)が鹿児島県の菱刈鉱山で金鉱脈を発見したと発表した。是川は朝鮮で鉱業を営んでいた時の経験に基づき、いち早くこれに注目し現地視察を行ったうえ、住友金属鉱山株の買い占めを行う。買い占め前の8月の安値203円から仕手戦の様相となり翌年3月に大暴落の後、是川がもつ隣接鉱区を住友金属鉱山が買取、金鉱開発に着手すると発表した後に4月の高値1230円まで株は高騰となった。是川は約1500万株(本人の談話では名義書換を行ったのは1400万株)を買い占め200億円の巨利を得たとされる。1982年3月末には住友金属鉱山を720万株を保有し第7位株主となっている。(他に所有する法人名義で約650万株)1983年に発表された高額納税者番付では申告額28億9090万円で全国1位となった。
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