住友銀行広島支店
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黒色X印が爆心地、赤色O印が旧住友銀行(現三井住友銀行) 1945年7月25日 1945年8月8日 人影の石は、元々爆心地から260mに位置した住友銀行広島支店の玄関前の石段である。同地は現在中区紙屋町1丁目三井住友銀行広島支店である。 建物は1928年(昭和3年)に建てられたもので、設計は住友工作部(現日建設計)の竹腰健造、施工は大林組。鉄筋コンクリート造地上4階地下1階、3階まで吹き抜けで、1階が営業・応接と金庫室、4階が会議室と食堂および賃室、地階がボイラー室。その前年に造られた芸備銀行本店(現広島銀行本店)の南にほぼ同規模の大きさで造られ、全体的にロマネスク様式で正面の繰形の大きなアーチが特徴的な銀行であった。 1945年8月6日被爆、全壊は免れたものの外観を残して内部は破壊された。幸いにも金庫室は全く被害がなく、現金・通帳等は残っていた。銀行内にあった書類が爆風によって沼田町伴にまで飛んでいたという。 住銀が公表した被爆当時の従業員数は広島支店および東松原支店の合計数で約58人。当日も普段通りの営業で、被爆時点では開店前で従業員の大半は通勤途中のことであった。原爆による人的被害は同じく合計数で、即死者29人(店内+通勤途中のもの)、負傷者約40人、行方不明者0 。広島支店内で被爆した従業員には、避難したが放射能の影響で数日後に亡くなったもの、また生き残り定年まで住銀で勤めたものもいる。その立地から被爆後に通行者が店内に避難しており、部外者の屍体が相当数収容されていたという。 戦後銀行業務を再開したところ、広島支店の入口の影は原爆の影響が如実に表れている「原爆名所」として広島市公認のいわゆる観光名所となった。当時は「死の人影」と呼ばれた。証言によると、当時原爆ドームに次いで有名な名所であったという。住銀側もその保護に尽力しており、まず1959年には柵を設け、1967年には劣化防止として強化ガラスで覆う処理をしている。 1971年、広島支店は建て替えることになり影部分が切り取られ平和資料館に寄贈された。
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