住友金属時代とは? わかりやすく解説

住友金属時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:50 UTC 版)

鹿島アントラーズ」の記事における「住友金属時代」の解説

詳細は「住友金属工業蹴球団#鹿島アントラーズ設立の経緯」および「オリジナル10#選定の経緯」を参照 1947年創部住友金属蹴球同好会1956年住友金属工業蹴球団改称)が前身となり、1973年日本サッカーリーグJSL2部1985年JSL1部昇格した。なお、1975年大阪市から鹿島製鉄所のある茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)に本拠地移転した1989年にプロサッカーリーグ設立具体化したのを受けて1990年住友金属工業(現・日本製鉄)の「2000年ビジョン」の指針発端となって鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部所属していた住友金属工業蹴球団プロリーグ参加協会要望した。これを受けて住友金属プロリーグへの参加申請するが、当時住金蹴球団は日本サッカーリーグ (JSL) 2部所属であり、設立準備メンバー一人であった川淵三郎が「住友金属さんが加盟できる確率はほとんどゼロなのです。99.9999%無理ですよ」と述べるほど参入可能性低かった。しかし、川淵の(住金参加諦めさせる最後の手であった)「観客席屋根付いた1万5000収容サッカー専用競技場建設できるなら考えましょう」の発言受けて茨城県茨城県立カシマサッカースタジアム建設決定。これが逆転となって初年度からのJリーグ加盟承認された。 1991年ブラジル代表主将務めたジーコ加入川淵三郎によると、「当初紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)にそのまま加入してもらおう思っていたが、当の古河電工ジーコ入団難色示しその後断りをいれた。そのため、新たに住友金属紹介したところ、住友金属アピールもあって、ジーコ入団実現した」と話している)。 Jリーグ発足に伴いクラブ名を「鹿島アントラーズ」に変更Jリーグ最初公式戦1992年のJリーグカップではカシマスタジアム建設中であったため、鹿島主管試合笠松運動公園陸上競技場主として国立霞ヶ丘競技場陸上競技場西京極スタジアム西京極での試合ガンバ大阪相手であった)で行った

※この「住友金属時代」の解説は、「鹿島アントラーズ」の解説の一部です。
「住友金属時代」を含む「鹿島アントラーズ」の記事については、「鹿島アントラーズ」の概要を参照ください。

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