商業・金融施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:58 UTC 版)
「中島町 (広島市)」の記事における「商業・金融施設」の解説
森永食糧工業広島支店(旧元柳町) - 元は明治時代に建設された廣島銀行(第百四十六国立銀行)の後身で現在の同名銀行とは異なる)本店である。1920年(大正9年)、この銀行を含む6行が統合され藝備銀行が設立されると同行の本店となるが、これが1927年(昭和2年)紙屋町の新店舗へ移転した後は、ひとのみち教団広島支部を経て最終的には森永製菓(被爆時には森永食糧工業)の支店となっていた。 日本簡易火災保険広島支店(旧中島本町) - 1936年建設で、広島の損害保険会社としては初めての鉄筋コンクリート造の建物だった。 興業銀行広島支店(旧中島本町) - 1939年には紙屋町交差点西南に移転。 三井生命保険広島支店(旧中島本町) - 赤レンガ2階建てで元は山口銀行(三和銀行(現三菱UFJ銀行)の前身の一つで現在の同名銀行とは異なる)広島支店の建物。現在の「原爆の子の像」南側に位置していた。 藤井商事(旧中島本町) - 貿易商社。1938年、住友銀行広島支店の本通移転に際しその社屋(1899年建設)を買収したもの。藤井順一社長が日本棋院広島支部長であった関係から、原爆投下直前の広島で行われた本因坊戦第一局は社屋に隣接する藤井家の別宅で行われた(第二局以降は郊外の佐伯郡五日市町に場所を移して行われ、ここで原爆に被災したが被害軽微だったためそのまま続行された。しかし広島に残り原爆に被災した藤井社長(支部長)以下は全滅した。詳細は当該項目参照)。戦後はガレージ業に転じた。
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