商業運河の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 16:45 UTC 版)
詳細は「運河時代」および「キャナル・マニア」を参照 グレートブリテン島における運河は、ローマ帝国の支配下において用いられたものが始まりで、これは主に灌漑用として使用された。しかし、河川を繋ぐ形でフォスダイク運河など運航用の運河もいくつか作られ、増加する内陸の水運需要に対応していた。しかし、これらの運河は排水用の水路と構造がほとんど変わらず、今日我々が考える運河とは性格が異なる。 グレートブリテン島の輸送用水路のネットワークは、(新規運河の工事よりも、既存の河川を運輸可能に整備する形で)ゆっくり着実に整備されていった。水門と曵道を備えた最初の運河は1564年から1567年にかけてエクセターに建設された。エクセター運河は幅16フィート、水深3フィート、総延長3マイルと規模は小さいが、閘門を3ヶ所持つ当時としては注目すべき工事だった。 18世紀になり産業運輸の需要が高まると爆発的に発展した(運河時代を参照)。当時の道路は大量輸送に適さなかったため、運河は産業革命の進捗の鍵であったのだ。馬車鉄道による大量輸送のシステムは出来上がっていたが、(特に、陶器類などのマニュファクチュアによる壊れやすい製品の)大量輸送を素早く行える大径車運行に適した道路は少なかった。運河用ボートは陸路よりもはるかに早く、大量の荷物を安全に運ぶことが出来た。ブリッジウォーター運河(イギリス初の近代的人工運河)の成功に続き、産業の中心地・町・港などを繋ぐ運河が造られ、大量の資源(石炭や材木)や製品を運んだ。これらの運河は企業家だけではなく一般家庭にも巨大な利益をもたらした。例えばマンチェスターでは、ブリッジウォーター運河の開通以来石炭の価格が75%以下に下落している。 18世紀終わりから19世紀初めにかけて産業革命が本格化すると、運河は大いに繁栄し、様々な技術的変革を経験した。初期の運河は丘陵を迂回する形で作られていたが、後には閘門(ロック)によって登り・下りかかわらずに運航するようになり、さらに後には、長い水路橋で谷を、長く深いトンネルで丘を直進するようになった。 だが、19世紀半ばより鉄道が運河の代わりに使われるようになった。これは特に7フィート(約2.1メートル)の標準狭路の閘門・橋において顕著であった[要説明]。より早く、より安く、より多く運べるといった、列車やその他陸上運輸の利点が増え、陸上運輸は経営的に利用しやすくなった。運河のネットワークは下火になり、多くは鉄道会社に買い取られることになった。狭路の運河は、雑草に覆われて泥やゴミが沈殿したり、鉄道に改装されたりして使われなくなった。 その後、イギリスの運河は広路運河の建設ラッシュ(カレドニア運河やマンチェスター船舶運河など)や、アイラー&キャルダーカンパニーのバーソロミューによる、ヨークシャー炭坑よりアイラー・キャルダー航路を通って運んだ石炭をグール港の外洋船に直接積み込める19両の石炭運搬船「トム・プディング」の創設(その後継である、3両の艀(はしけ)を引き、アイラー駅でジャンパーに直接石炭を積み込むハグリーヴァスのタグボートは2004年まで運航した)といった発明・技術革新を経た。しかしながら、1905年のヨークシャー(現在は南ヨークシャー)のニュー・ジャンクション運河の建設を最後に、20世紀の終わりまで新しい運河が建設されることはなかった。競争が激化するにつれて、馬が引くナロウボートは動力なしの艀を引くディーゼル船に取って代わられ、船夫は陸上の家を捨て、船をすぐ動かすことができ、宿泊コストも減らせる水上生活を行うようになった。これがいわゆるボートマンズ・キャビンの始まりである。 通行料金が着実に安くなっていったことからも分かるように、水上での腐らないもの、生き物以外、大量のものの輸送はまだいくらかの水上交通網では有効であった。だが狭路での商業運輸は、1962年から1963年の冬についに死刑宣告が降りた。長く厳しい冷気によって運河が3ヶ月の間凍結してしまったのである。いままで運河を利用していた顧客も、信頼性の高い車道や鉄道に切り替えてしまい、二度と運河を利用しなくなった。私有運河には(マンチェスター船舶運河など)なお利用可能なものがあり、発展の望みもあったが、港やトラックのコンテナ化により水路は使われなくなった。陸上水運への大規模投資は、1980年代初めのシェフィールド・ヨークシャー運河の、ヨーロッパ標準の貨物船に対応するための拡張工事のためのものであったが、1980年代の不況によって実現されなかった。休日にナロウボートを楽しむような人々によって評価されるかもしれないという、当時は取るに足りないと思われていた希望は、北海を渡ってライン川とドンカスターを行き来する艀のための閘門の設置によって、あやうく失われてしまうところであった。今日、マンチェスター船舶運河でさえサルフォードのドックへ運航する貨物船を運航していない[要説明]。サルフォードは非現実的な「水運の未来」ではなく、波止場や倉庫を住宅やオフィス、文化施設に取り替えることで、サルフォード・キーとして再開発された。
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