馬
『捜神記』巻14-11(通巻350話) 娘が馬に「遠方に赴任している父を連れ帰ってくれるなら、お前の嫁になろう」と冗談を言う。馬は父のもとへ駆け、父を連れ帰って娘を要求する。父は怒って馬を殺し、皮を剥ぐ。皮は娘を包みこんで飛び去り、やがて庭の樹上で蚕と化して糸を吐く。良質の糸が多く取れたので、その樹を「桑」と名づけた。「桑」とは「喪」の意味である。
『遠野物語』(柳田国男)69 貧しい百姓が飼っている馬をその娘が愛し、ついに娘と馬は夫婦になる。百姓は怒り、馬を桑の木につり下げて殺す。娘が馬の首にすがって泣くので、百姓は斧で馬の首を切り落とす。娘は馬の首に乗ったまま、天に昇り去った〔*オシラサマ(養蚕の神様)の起源譚〕。
★1c.馬と交わる女たち。
『日本書紀』巻16武烈天皇8年3月 武烈天皇は、女たちを裸にして平板の上に坐らせ、馬と交接させた。女の陰部を見て、潤っている者は殺し、潤っていない者は官婢(=朝廷所有の婢)とした。これが武烈天皇の楽しみだった。
★2.馬が動かなくなる。
『黄金伝説』160「司教聖マルティヌス」 身なりをかまわぬ司教聖マルティヌスが、ろばに乗って出かける。数人の騎士たちが、マルティヌスにおそいかかり、めった打ちにする。すると、騎士たちの馬が大地に根が生えたごとくになり、鞭打っても動かない。騎士たちは聖人に詫びる。
『高野聖』(泉鏡花) 魔性の女が、旅の薬売りを馬に変身させる。その馬を馬市に連れて行こうとするが、動かない。女が着物を脱いで馬の下腹をくぐりぬけると、馬は歩き出す。
『沙石集』巻5末-7 聖徳太子が片岡山を過ぎる時、馬が進まなくなった。不審に思って見ると、異相の僧が飢えて臥していた。この僧は達磨大師である。聖徳太子は前世で唐の僧だった時、達磨大師から「日本に生まれて仏法を広めよ」と勧められ、この日本に誕生したのであった。
『太平記』巻11「筑紫合戦の事」 菊池入道が櫛田の宮を過ぎる時、乗った馬が立ちすくみ進まなくなる。入道が神殿の扉を2矢射ると、馬は動き出す。社壇には大蛇が矢に当たって死んでいた。
『貫之集』 貫之が紀の国から帰り上る途次、にわかに馬が重病になる。道行く人が「ここにおわす蟻通しの神がし給うたこと」と教えたので、貫之は「かき曇りあやめも知らぬ大空に蟻通しをば思ふべしやは」の歌を奉り、馬は回復する〔*『俊頼髄脳』などに類話〕。
『蒙求』225所引『西京雑記』 滕公が車で東都門に行った時のこと、車を引く馬が急に鳴き出し、足をかがめて進もうとせず、前足で地をかいた。士卒がそこを掘ると石棺があり、古体の文字で「3千年後に、滕公なる者がここに葬られよう」と記してあった。
『小栗(をぐり)』(説経) 横山殿は娘婿の小栗判官を嫌い、人食い馬の鬼鹿毛(おにかげ)に乗せて、小栗を殺そうとたくらむ。しかし鬼鹿毛は小栗の言葉を聞き、その顔を拝んで(*→〔瞳〕2b)、荒々しい心を捨て、前膝を折って小栗を背に乗せる。小栗は自在に鬼鹿毛を乗りこなし、梯子乗り・碁盤乗りなどをする。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第5章 ビストン族の王ディオメデスは、人食い牝馬を持っていた。ヘラクレスが来て、秣槽(まぐさおけ)の世話をする者たちを打ち負かし、人食い牝馬を連れ出した。ビストン人たちが追って来たので、ヘラクレスは彼らと闘い、ディオメデス王を殺した。
『三国志演義』第63回 劉備の軍が、劉璋の軍と戦うため出陣する時、軍師ホウ統の馬が棒立ちになって、ホウ統を振り落とした。劉備はホウ統の身を気づかい、「このような悪い馬にはわしが乗ろう」と言って、自らの白馬とホウ統の馬を取り替えた。待ち伏せしていた劉璋の軍は、「白馬に乗るのが劉備だ」と思い、矢の雨を射かけてホウ統を殺した。
『南総里見八犬伝』肇輯巻之1第2回 滝田城主・神余光弘は、愛妾玉梓の色香におぼれていた。近習の山下定包がそれに乗じ、国の乗っ取りをねらう。村民・杣木朴平らが山下定包暗殺を企てたので、山下定包は自分の白馬に神余光弘を乗せて、狩に行かせる。杣木朴平らは、白馬に乗る神余光弘を山下定包だと思い、矢を射かけて殺した。
★5.馬の教え。
『捜神記』巻13-9(通巻327話) 秦の頃、胡族の侵攻に備えて城を築くが、何度も完成しそうになっては崩壊する。1頭の馬が同じ所をぐるぐる走り回るので、その馬の足跡に沿って城壁を築くと、ようやく、崩れることなく完成する。
*馬の教えを無視して、命を失う→〔落とし穴〕2の『王書』(フェルドウスィー)第2部第7章「ロスタムの最期」・〔凶兆〕3aの『リチャード三世』(シェイクスピア)第3幕。
『うつほ物語』「俊蔭」 清原俊蔭は16歳の時、遣唐使となって渡唐するが、途中、嵐にあって波斯国の渚に漂着した。俊蔭は心細さに観音を念じ、「7歳より仕うまつる本尊、現れ給え」と祈る。すると、鞍を置いた白馬が渚に出現し、俊蔭を乗せて清く涼しい林まで運んで、消え失せた〔*俊蔭はその後、阿修羅・天人・仙人・仏に出会い、琴を得て帰国する〕。
『今昔物語集』巻5-1 天竺の人・僧迦羅と5百人の商人たちが、美女たちの住む島へ行く。しかし美女たちが実は羅刹鬼であることを知って逃げ出し、浜辺で観音に救いを求める。沖から大きな白馬が波を分けて現れ、僧迦羅と商人たちは皆、白馬にしがみつく。白馬は海を渡り、僧迦羅たちは故国へ帰ることができた〔*『宇治拾遺物語』巻6-9に類話。原拠である『大唐西域記』巻11・1・3では、天馬が雲路を飛び走った、と記す〕。
『平家物語』(延慶本)巻2-33「基康清水寺籠事・付康頼夢の事」 油黄島に流された康頼入道のある夜の夢に、子息基康が「妙法蓮華経信解品」と白帆に書いた船で来ると見て、なおよく見ると、船ではなく白馬に基康は乗っていた。
『ケルトの神話』(井村君江)「常若の国へ行ったオシーン」 騎士オシーンは、常若(とこわか)の国ティル・ナ・ノグの王女、金髪のニァヴに誘われ、いっしょに白馬に乗る。2人を乗せた白馬は海の上を西へ向かって駆け、常若の国の宮殿に到る。オシーンはニァヴと結婚して3年の月日を幸せに過ごすが、故郷が恋しくなり、彼は1人で白馬に乗って帰る。ニァヴはオシーンに、「白馬から下りてはいけません。足が地にふれたら、2度と私の所へ戻れないのです」と言い聞かせる→〔土〕3。
★7.天翔ける馬。
『今昔物語集』巻11-1 甲斐国から都へ、黒駒が献上された。聖徳太子は黒駒に乗って天空へ上がり、東をさして去った。太子は信濃国に到り、三越(みこし。=越前・越中・越後)の境を巡って、3日後に帰還した。
『今昔物語集』巻11-6 藤原広継は、午前中は都で右近少将として朝廷に仕え、午後は九州へ下り太宰少弍として執務した。彼は空を翔ける龍馬(りゅうめ)に乗り、瞬く間に都へ上り、九州へ下っていたのだった。
『変身物語』(オヴィディウス)巻4 ペルセウスがメドゥサの首を切り取ると、首からほとばしる血を母として、翼を持つ天馬ペガサスが生まれ出た。
★8.八本足の馬。
『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)』(スノリ)第42章 男神ロキは牝馬に変身して牡馬スヴァジルフェーリと交わり、灰色で8本足の馬スレイプニルを産んだ〔*スレイプニルはオーディンの乗馬となる〕→〔性転換〕5。
*八本足の兎→〔兎〕5の『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)。
『宝物集』(七巻本)巻1 天竺の安族国(=西アジアのアルサク朝パルティア王国のことと言う)の王は、人を馬にする術を知っていた。王は、旅の男に葉の細い畢婆羅草(ひつばらさう)を食べさせ、馬にしてしまった。息子が父を尋ね捜し、葉の広い遮羅婆羅草(しゃらばらさう)を与えて、もとの人間に戻した。
*人間をろばにするキャベツ、ろばを人間にもどすキャベツ→〔ろば〕2aの『キャベツろば』(グリム)KHM122。
*笞で人を打って馬にする→〔宿〕3bの『今昔物語集』巻31-14。
『人馬』(狂言) 大名が「一芸のある者を召し抱える」と言うので、新参の男が「人を馬にする術を知っている」と、でまかせを言う。大名の命令で太郎冠者が実験台になるが、男がいくら呪文を唱えても馬にはならず、男は逃げ出す。
『デカメロン』第9日第10話 牧師が、「魔法で人を馬にできる」と称して友人の妻を裸にし、身体中を「ここが馬になるように」と言ってさわる。最後に、「尻尾をつける」と言って背後から性交に及ぶので、夫が「尻尾はいらない」と叫ぶ。牧師は、「君が口をきいたので魔法が効かなくなった」と言う。
★9d.「馬を人に変え、人を馬に変える」と称して、酒食や金品をだまし取る。
『沙石集』巻8-2 修行者が或る人に、「馬を人に変え、人を馬に変える術を授ける」と約束して、様々にもてなしを受ける。引出物まで取った上で、修行者は「馬を人に変える術とは、馬を売って人を買うのです。人を馬に変える術とは、人を売って馬を買うのです」と教えた。
『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30・通巻719話 阿波国の智願上人の乳母だった尼が、死後、馬に生まれ変わった。智願上人は、尼の生まれ変わりとは知らず、その馬に乗った。ほどなく馬は死に、上人は惜しみ嘆いたが、尼は、またしても上人の乗馬に生まれ変わった。尼の霊は人に憑依して、「上人のことをずっと心にかけているので、他の物に生まれ変わったりせず、再び上人の乗馬になったのだ」と告げた。建長の頃(1249~56)のことである。
★10.馬人間。
『御曹子島渡』(御伽草子) 御曹子義経が蝦夷が島への航海途中に上陸した王せん島には、腰から上が馬・下半身が人の、身長10丈ほどの馬人間が住んでいた。彼らは背が高すぎて、倒れると起き上がれず、腰に付けた太鼓を叩いて助けを呼ぶのだった〔*→〔逆さまの世界〕2の『ガリヴァー旅行記』では、馬が人を支配する島をガリヴァーが訪れる〕。
★11.馬が埴輪に変わる。
『日本書紀』巻14雄略天皇9年7月1日 田辺史伯孫(はくそん)が、自分の葦毛馬と引き換えに得た赤馬を、厩(うまや)に入れておく。しかし翌朝見ると、赤馬は埴輪馬(はにわうま)に変わっていた。彼の葦毛馬は、誉田陵(=応神天皇陵)の埴輪馬の間に立っていたので、伯孫は厩の埴輪馬を陵に戻し、葦毛馬を連れ帰った。
『三国遺事』巻1「紀異」第1・高句麗 卵から生まれた朱蒙は、金蛙王のもとで育った。金蛙王は、朱蒙に馬の飼育をさせた。朱蒙は駿馬をよく見抜き、わざと餌を減らして痩せ細らせ、駄馬にはたくさん餌を食わせて肥らせた。金蛙王はそんなことはまったく知らず、肥えた馬には自分が乗り、痩せた馬は朱蒙に与えた〔*見た目だけで判断する点で、→〔二者択一〕1の『神統記』(ヘシオドス)と類似する〕。
★13.馬乗り。
『痴人の愛』(谷崎潤一郎) 高給サラリーマンの「私(河合譲治)」は28歳の時、カフエエの女給・15歳のナオミを知り、彼女の西洋風の容姿にひかれて同棲する。しかしナオミは天性の淫婦であり、平気で大勢の男たちと関係を持つ。「私」は怒ってナオミを追い出すが、彼女の肉体の魅力に抗しきれず、家へ戻ってくれるよう請う。「私」は四つん這いになり、ナオミは「私」の背中へまたがって、「あたしに好きなことをさせるか。いくらでもお金を出すか」と問う。「私」は、すべてナオミの言いなりになることを誓う。
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