貫之集(石山切二枚継)(紀將歌集第十)
主名称: | 貫之集(石山切二枚継)(紀將歌集第十) |
指定番号: | 1986 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1959.12.18(昭和34.12.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
貫之集〈第五残巻、第八/(村雲切本)〉
主名称: | 貫之集〈第五残巻、第八/(村雲切本)〉 |
指定番号: | 2408 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1984.06.06(昭和59.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 紀貫之の歌を集めた『貫之集』の平安時代末期の写本で、村雲切と呼ばれる古筆切本のまとまつた遺巻である。 本文は、薄茶地の色紙に金銀の小切箔を散らした装飾紙に書かれ、現状は巻子本に装幀されているが、これはもと粘葉装冊子本の各葉の表裏を剥いで継いだものである。『貫之集』第五の末尾部分二紙(六首)および第八(完存)の十三紙(二十七首)を存し、現状は第八、第五の順に継がれている。書写の体裁は一紙七~八行宛、和歌は一首二行書き、詞書は一字下げに書かれ、本文の筆者は未詳だが、文中しばしば集付、訂正等の書き入れがある。この書き入れはその書風よりみて藤原定家(一一六二-一二四一)の筆と認められ、第八の二十七首のうち「かけるとて」云々の一首も定家の追筆である。 『貫之集』は伝本が多く、本文にも異同が多い。本巻はいわゆる他撰本系に属するが、平安時代末期の装飾本私家集として貴重であり、他撰本貫之集の諸本の成立過程を知る上でも注目される。 |
貫之集
主名称: | 貫之集 |
指定番号: | 2441 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1988.06.06(昭和63.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 文永十二年四月三日書写奥書 |
員数: | 1帖 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1275 |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の代表的歌人紀貫之の家集の鎌倉時代の古写本で、貫之の和歌九十一首を一帖に書写している。体裁は綴葉装で、現状は金襴の後補表紙を装するが、その次に原表紙を存している。原表紙は墨流紙に上部に金銀小切箔砂子雲霞引、下部に金、銀、緑青で水流、草、網代、車などを描いており、右上に「貫之集」と外題がある。本文の料紙は、鳥ノ子紙に金銀泥で草、花、鳥、蝶などを描いた下絵料紙で、内題はなく、本文は半葉九行、和歌一首二行書きに書写している。 帖末には本文の末に続けて「右大将在判」とあり、さらに頁をかえて建長四年(一二五三)六月十日の真観本奥書、文永一二年(一二七五)四月三日の書写奥書がある。これらによれば本帖は文永一二年の書写になるもので、その底本としたのは右大弁入道真観(葉室光俊。一二〇三~一二七六)が建長四年に院(後嵯峨上皇)の命により書写し進上したもので、さらにその祖本は種々の色紙を用いたもので、右大将(西園寺実氏ヵ)の判が加えられていたものであったことが知られる。文永十二年の書写奥書には花押が加えられており、帖末の寛永十一年(一六三四)古筆了佐の極書は本帖の筆者筆者を二条為氏としているが、奥書の花押は現在知られている為氏の花押と一致せず、本帖の筆者を特定することはできない。 『貫之集』の伝来は多く、本帖以外の諸本は二系統に大別されるが、本帖はそのいずれとも系統を異にし、詞書、和歌の語句等に他の諸本と異同があり、本帖のみの特有歌が二首あって、和歌文学史研究上に注目される。 なお、『寛政重修諸家譜』には天和元年(一六八一)に将軍徳川綱吉から牧野成貞に二条為氏筆の貫之集が下賜されたことがみえるが、本帖は箱の蓋裏の貼紙にその拝領の旨が記されており、綱吉から下賜され、常陸笠間藩主牧野家に伝来したものと考えられる。 |
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