医王山
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医王山(いおうぜん)[注釈 1]は、石川県金沢市と富山県南砺市にまたがる標高939mの山塊である。白兀山、奥医王山及び前医王山などの山塊の総称で、最高点の奥医王山には一等三角点が設置されている[4]。日本三百名山[5]及び新・花の百名山[6]に選定されている。
注釈
出典
- ^ 基準点成果等閲覧サービスにおける一等三角点「医王山」の標高。
- ^ 日本の主な山岳標高(石川県の山)、国土地理院、2020年02月17日閲覧。
- ^ a b c 『日本の山1000』山と渓谷社、1992年、ISBN 4-635-09025-6
- ^ a b 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名: 福光(金沢)、国土地理院、2010年12月11日閲覧。
- ^ 『日本三百名山』毎日新聞社、1997年、ISBN 4-620-60524-7
- ^ 『新・花の百名山』、田中澄江(著)、文春文庫、1995年、ISBN 4-16-731304-9
- ^ 『医王は語る : 医王山文化調査報告書』pp.248-249
- ^ 『医王は語る : 医王山文化調査報告書』pp.251-261
- ^ a b “医王山県立自然公園パンフレット” (PDF). 石川県. 2016年11月15日閲覧。
- ^ 『ヤマケイアルペンガイド21白山と北陸の山』山と渓谷社、2000年、ISBN 4-635-01321-9
- ^ [石川県の地質 、p8、石川県教育センター、1993年 https://www.ishikawa-c.ed.jp/rika/kiyou/kiyou17.pdf]
医王山 (曖昧さ回避)
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医王山
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「闘静記」の記述に従えば湯涌谷衆の奇襲によって惣海寺一帯は焼かれたとされ、 実際に平成4年の発掘調査で発見された14-15世紀の寺院遺構には焼け跡が見つかっている。文明13年の「田屋川原の戦い」で従来の医王山修験道の世界が一気に滅亡したと断定はし難いが、前述したように「文明年間に医王山修験系から一向宗系に転じた」という伝承を持つ寺院が多数現存することも事実であり、 文明年間が医王山修験系寺院衰退の時期であったことは間違いない。医王山修験系寺院の名残は、現南砺市才川七地区の医王山宗善寺が所蔵する「澄大使像」 などに今もみられる。 現代においても、医王山山中には「惣海寺跡」「海蔵寺跡」「開往寺跡」「桃源寺跡」「永福寺跡」などの地名が残っている。また、「桃源寺」は現魚津市に、「永福寺」は現富山市に現存しており、それぞれ医王山山中出自の伝承を有している。
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