永福寺
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永福寺
永福寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 01:05 UTC 版)
永福寺(えいふくじ、ようふくじ)
寺院
現存
- 永福寺 (留萌市) - 北海道留萌市にある浄土真宗本願寺派の寺院[1]
- 永福寺 (北海道余市町) - 北海道余市郡余市町にある曹洞宗の寺院[2]
- 永福寺 (北海道新得町) - 北海道上川郡新得町にある曹洞宗の寺院[3]
- 永福寺 (盛岡市) - 岩手県盛岡市にある真言宗豊山派の寺院[4]、東北三十六不動尊霊場19番札所[4]
- 永福寺 (鶴岡市) - 山形県鶴岡市にある曹洞宗の寺院[5]
- 永福寺 (竜ケ崎市) - 茨城県龍ケ崎市にある天台宗の寺院[6]
- 永福寺 (小美玉市) - 茨城県小美玉市にある天台宗の寺院[6]
- 永福寺 (前橋市) - 群馬県前橋市にある天台宗の寺院[6]
- 永福寺 (高崎市) - 群馬県高崎市にある曹洞宗の寺院[7]
- 永福寺 (太田市) - 群馬県太田市にある曹洞宗の寺院[8]
- 永福寺 (沼田市) - 群馬県沼田市にある曹洞宗の寺院[9]
- 永福寺 (東松山市) - 埼玉県東松山市にある曹洞宗の寺院[10]
- 永福寺 (埼玉県杉戸町) - 埼玉県北葛飾郡杉戸町にある真言宗豊山派の寺院
- 永福寺 (八千代市) - 千葉県八千代市にある曹洞宗の寺院[11]
- 永福寺 (新宿区) - 東京都新宿区にある曹洞宗の寺院[12]
- 永福寺 (杉並区) - 東京都杉並区にある曹洞宗の寺院[13]
- 永福寺 (江戸川区) - 東京都江戸川区にある寺院
- 永福寺 (東京都府中市) - 東京都府中市にある真宗高田派の寺院
- 永福寺 (五泉市) - 新潟県五泉市にある曹洞宗の寺院[14]
- 永福寺 (氷見市) - 富山県氷見市にある真宗大谷派の寺院
- 永福寺 (金沢市寺町) - 石川県金沢市寺町にある浄土宗の寺院[15]
- 永福寺 (金沢市東兼六町) - 石川県金沢市東兼六町にある曹洞宗の寺院[16]
- 永福寺 (輪島市) - 石川県輪島市にある曹洞宗の寺院[17]
- 永福寺 (塩尻市) - 長野県塩尻市にある高野山真言宗の寺院
- 永福寺 (大垣市) - 岐阜県大垣市にある浄土宗の寺院[18]
- 永福寺 (浜松市) - 静岡県浜松市にある曹洞宗の寺院[19]
- 永福寺 (磐田市) - 静岡県磐田市にある曹洞宗の寺院[20]
- 永福寺 (豊橋市下地町) - 愛知県豊橋市下地町にある曹洞宗の寺院[21]、吉田七福神の毘沙門天
- 永福寺 (豊橋市杉山町) - 愛知県豊橋市杉山町にある曹洞宗の寺院[22]
- 永福寺 (豊川市) - 愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院[23]
- 永福寺 (刈谷市) - 愛知県刈谷市にある曹洞宗の寺院[24]
- 永福寺 (豊田市) - 愛知県豊田市にある黄檗宗の寺院
- 永福寺 (稲沢市) - 愛知県稲沢市にある真言宗智山派の寺院
- 永福寺 (名張市) - 三重県名張市にある高野山真言宗の寺院、三重四国八十八箇所45番札所[25]
- 永福寺 (三重県大台町) - 三重県多気郡大台町にある曹洞宗の寺院[26]
- 永福寺 (近江八幡市) - 滋賀県近江八幡市にある浄土宗の寺院[27]
- 永福寺 (甲賀市水口町新城) - 滋賀県甲賀市水口町新城にある浄土宗の寺院[28]
- 永福寺 (甲賀市水口町虫生野) - 滋賀県甲賀市水口町虫生野にある浄土宗の寺院[29]
- 永福寺 (東近江市大澤町) - 滋賀県東近江市大澤町にある浄土宗の寺院[30]
- 永福寺 (東近江市横山町) - 滋賀県東近江市横山町にある浄土宗の寺院[31]
- 永福寺 (滋賀県多賀町) - 滋賀県犬上郡多賀町にある曹洞宗の寺院[32]
- 永福寺 (京都市中京区) - 京都府京都市中京区にある浄土宗西山深草派の寺院、京都十二薬師霊場12番札所[33](蛸薬師堂)
- 永福寺 (京都市伏見区) - 京都府京都市伏見区にある浄土宗の寺院[34]
- 永福寺 (舞鶴市) - 京都府舞鶴市にある臨済宗妙心寺派の寺院
- 永福寺 (宮津市) - 京都府宮津市にある曹洞宗の寺院[35]
- 永福寺 (京都府久御山町) - 京都府久世郡久御山町にある真宗大谷派の寺院
- 永福寺 (泉佐野市) - 大阪府泉佐野市にある浄土宗の寺院[36]
- 永福寺 (神戸市) - 兵庫県神戸市にある浄土宗の寺院[37]
- 永福寺 (奈良県王寺町) - 奈良県北葛城郡王寺町にある浄土宗の寺院[38]
- 永福寺 (新宮市) - 和歌山県新宮市にある曹洞宗の寺院[39]
- 永福寺 (鳥取県湯梨浜町) - 鳥取県東伯郡湯梨浜町にある曹洞宗の寺院[40]
- 永福寺 (鳥取県日南町) - 鳥取県日野郡日南町にある曹洞宗の寺院[41]
- 永福寺 (浜田市) - 島根県浜田市にある曹洞宗の寺院[42]
- 永福寺 (下関市) - 山口県下関市にある臨済宗南禅寺派の寺院
- 永福寺 (山口市) - 山口県山口市にある曹洞宗の寺院[43]
- 永福寺 (柳井市) - 山口県柳井市にある浄土宗の寺院[44]
- 永福寺 (高知市) - 高知県高知市にある真宗大谷派の寺院
- 永福寺 (福岡市) - 福岡県福岡市にある曹洞宗の寺院[45]
- 永福寺 (別府市) - 大分県別府市にある時宗の寺院
- 永福寺 (杵築市) - 大分県杵築市にある曹洞宗の寺院[46]
- 永福寺 (鹿児島市) - 鹿児島県鹿児島市にある浄土真宗本願寺派の寺院[47]
- 永福寺 (出水市) - 鹿児島県出水市にある曹洞宗の寺院[48]
- 永福寺 (薩摩川内市) - 鹿児島県薩摩川内市にある浄土真宗本願寺派の寺院[49]
廃止
脚注
- ^ “留萌支庁”. 浄土真宗本願寺派(西本願寺)北海道教区. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ a b “【降魔不動尊】永福寺(真言宗豊山派)”. 【公式】東北三十六不動尊霊場. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ a b c “全国天台宗寺院 データベース”. 天台宗. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 浄土宗寺院紹介Navi. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
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- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “第四十五番 高照山 普門院 永福寺”. 三重四国八十八ヶ所霊場 (2014年8月14日). 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 浄土宗寺院紹介Navi. 2020年10月16日閲覧。
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- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “第12番 永福寺”. 京都十二薬師霊場会寺務所. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 浄土宗寺院紹介Navi. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
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- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
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- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
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- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “鹿児島組 寺院一覧”. 本願寺鹿児島別院. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “永福寺”. 曹洞禅ナビ. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “祁答院組 寺院一覧”. 本願寺鹿児島別院. 2020年10月16日閲覧。
永福寺 (曹洞宗)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 07:15 UTC 版)
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永福寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:44 UTC 版)
十和田御堂の寺号が「額田嶽熊野山十灣寺」(額田嶽は八甲田山)であったことから分かるように、霊山としての十和田山は糠部側から開山された熊野修験系の霊山であった。南祖坊は七崎永福寺の僧であったことが語られ、十和田開山の拠点が七崎永福寺(現在の普賢院)であったことを示している。普賢院には、南祖坊の御像である南祖法師尊像が祀られ、『十和田山神教記』の写本二冊が所蔵されており、伝説を今に伝えている。江戸時代初期、永福寺本坊が盛岡に構えられ、七崎の普賢院と三戸の嶺松院を自坊とした。七崎には本堂以下の堂塔が残され、観音堂は「七崎山徳楽寺」と称した。菅江真澄によれば永福寺の盛岡移転後も人々は七崎の観音堂を「永福寺」と呼んでいたという。盛岡永福寺には真言を貼って人の出入りを禁じた「十和田の御間」という一室があり、春秋の彼岸の中日には「十和田様」が人体(法師の姿)や龍体(蛇の形)で現れるとされた。 七崎山徳楽寺は明治初年の神仏分離で七崎神社になり、御堂(観音堂)跡には拝殿が建てられた。樹齢千年と言われる杉の神木や別当寺の普賢院、寺内や門前町の形態を残す永福寺集落の光景が往時の記憶を留めている。七崎山徳楽寺は、明治初年の『新撰陸奥国誌』によれば、もとは聖観音を本尊とする霊場で、参拝人が絶えず盛岡藩主が修繕を行い、厳重の法会を修行してきた稀代の古刹であったという。江戸期に盛岡藩の冠寺となる永福寺の七崎への創設は12世紀末と見られる。なお、普賢院は永福寺創設前の創建とされ、平安初期(延暦弘仁年間)圓鏡上人により開創、承安元年(1171)行海上人により開基(江戸期の過去帳では中興開山と記される)され、鎌倉〜江戸時代初期に永福寺の寺号が主に用いられたとされている。 江戸時代に霊山十和田は最盛期を迎える。その一つには、盛岡藩の保護がある。七崎永福寺は盛岡開府後、盛岡城の鬼門にあたる城下北東の地に移され、盛岡城鎮護の寺で、藩主の祈願所、寺領8百石を有し、広大な寺地と六つの坊(六供坊、池上・林蔵・蓮華・桜木・西・東)をもつ盛岡五山の筆頭寺院とされた。中世の南部家当主は正月4~5日、永福寺に参拝し、そこで連歌会を行った。6日には諸寺の先頭を切って永福寺別当が三戸城に登城し、当主にお目見えした。永福寺が盛岡に本坊を構えた後、七崎村の大部分は盛岡永福寺の支配とされ、盛岡永福寺には「十和田の御間」が設けられた。とくに2代藩主南部利直の十和田信仰は篤く、自ら南祖坊の生まれ変わりと唱え、法名を南宗院月渓清公としたという。藩の十和田信仰も篤く、5月15日の十和田御堂の例祭には五戸代官が藩主の代参を行った。十和田参拝道の管理や休屋の参道杉並木も藩の手で整備された。民衆の十和田参拝も江戸時代に全盛期を迎え女人禁制も解けて、田植え過ぎの5月15日の例祭には、男女群れなして登山をして数百人の参拝者がいた。1681年(延宝9年)には民間の力で御堂が新造され、参拝道の道沿いには、村々の民衆が寄進した石灯籠や石の道標が作られ、今も残されている。 『祐清私記』では「南部利直が寝ている姿を見ると、蛇身に見えた」という話の後に「南部利直の夢に南祖坊が現れ私は蛇身を免れるために貴公に生まれ変わったと告げる。利直がこのことを次衆に告げると、これを真実と考える者が多かった。利直が寛永年間に江戸で没したが、その時国元の東禅寺の大英和尚と江戸の金地院が、それぞれ双方夢の話を全く知らなく、相談したわけでもないのに、同じく南宗院殿の号を撰んだ。利直が南祖坊の生まれ変わりであることはこれによっても明らかである。利直の葬儀が三戸で行われた時、空がにわかにかき曇って大雨電雷した」と書いている。 「盛岡」の地名は1691年(元禄4年)6月に南部重信と盛岡永福寺の僧正、清珊法印(せいさんほういん)の連歌によって「森岡」が「盛岡」と定められた。永福寺は山号を宝珠盛岡山と称し、盛岡五山の筆頭で藩累代の祈祷寺になっていた。竜神池のほとりには、青龍大権現堂があった。
※この「永福寺」の解説は、「十和田神社」の解説の一部です。
「永福寺」を含む「十和田神社」の記事については、「十和田神社」の概要を参照ください。
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