永福寺 (塩尻市)とは? わかりやすく解説

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永福寺 (塩尻市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/16 19:48 UTC 版)

永福寺

所在地 長野県塩尻市塩尻町1223
位置 北緯36度6分5.8秒 東経137度58分57.1秒 / 北緯36.101611度 東経137.982528度 / 36.101611; 137.982528座標: 北緯36度6分5.8秒 東経137度58分57.1秒 / 北緯36.101611度 東経137.982528度 / 36.101611; 137.982528
山号 慈眼山
宗派 高野山真言宗
本尊 駒形馬頭観音
創建年 大永元年(1521年)
札所等 信州筑摩三十三カ所観音霊場第17番札所
文化財 観音堂、仁王門(市有形文化財)
法人番号 5100005006837
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永福寺(えいふくじ)は長野県塩尻市にある高野山真言宗の寺院。山号は慈眼山。

概要

本尊は天平9年(737年)行基の作と伝わる駒形馬頭観音。大永元年(1521年)に源義仲の子孫と称する木曽義方が義仲の菩提を弔うため創建し、祖父の木曽源太郎豊方を開基とし、法名から長福寺とした。

元和元年(1615年)の中山道塩尻宿開設に伴って長畝村から宿場の東端に移設され、元禄15年(1702年)に現在地に移り、本堂、鐘楼、山門、仁王門、観音堂などが新築された。九代将軍徳川家重の幼名長福丸を避諱して、享保2年(1717年)に永福寺と改称した。

正徳4年(1714年)に全焼したが、再建。現在の観音堂は春日造りで、諏訪立川流3代目の立川和四郎富重によって万延元年(1860年)に改築された。昭和53年(1978年)に本堂と庫裡が新築された。

交通アクセス

参考文献

  • 『探訪 信州の古寺 天台宗・真言宗』1996年 郷土出版社

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