山上ヶ岳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 16:12 UTC 版)
奈良県吉野郡天川村に位置する。標高1,719 mで日本三百名山。 この一帯は古くから修験道の山として山伏の修行の場であった。道場としての大峯山は、単独の山を指す名前ではなく吉野山から熊野へ続く長い山脈全体を意味している。その中でも山上ヶ岳(旧名:金峯山)の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂があり、山全体を聖域として現在でも女人禁制が維持されている。山上ヶ岳へ通じる登山道には、宗教上の理由により女人禁制である旨を伝える大きな門があり(女人結界門 北緯34度16分04秒 東経135度54分50秒 / 北緯34.26778度 東経135.91389度 / 34.26778; 135.91389)、1300年の伝統を守るための協力を依頼した看板が設置されている(これに反対する動きについては女人禁制を参照)。しかし、1929年(昭和4年)には既に女性が登山していたとされ、一部では入れるようになったともいわれる。 1007年(寛弘4年)8月、藤原道長が大峯山の山頂である山上ヶ岳に、自筆の妙法蓮華経、無量義経、観普賢経、阿弥陀経、弥勒上生下成仏経、般若心経など併せて十五巻を銅の筺に納めて埋経した。これに倣った貴族の大峯登拝と埋経が盛んになった。また、道長は1011年(寛弘8年)に御嶽精進をはじめるが、触穢(しょくえ)によって大峯山詣を中止した。道長の埋経は出土しており、大峯参詣の記録を含む日記『御堂関白記』も伝わっている。ちなみに藤原頼通、藤原師通も登山しており、師通は、日記『後二条師通記』に登拝の記録を残している。 山上ヶ岳の麓には門前町として洞川温泉の集落があり、参拝者のための旅館が立ち並んでいる。洞川から大峯大橋までは道路(奈良県道21号大峯山公園線)が整備されて、すぐそばの女人結界門から山頂まで参道が設けられているが、鎖場を登る長く険しい山道が続く。
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