過当競争時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 08:44 UTC 版)
「社会の公器」としての報道の一翼にあると自負していた写真週刊誌であったが、この3FET時代ではついに大手出版社5誌による激しい競合に至り、過当競争の生き残り合戦の様相を呈し始める。従来から写真週刊誌同様に芸能ゴシップが記事として大きな割合を占めてきた女性週刊誌をも巻き込んで、競合と内容の過激化はさらなる激化の一途を辿った。 とにかく雑誌がより多く売れるスクープを掲載することが編集部内、そして社内での高評価に繋がったため、 報道の自由は憲法で保証されている権利で、社会の公器として報道をしている以上、多少の逸脱行為はあっても然るべきもので許される。 芸能人・著名人、重大事件・事故の関係者や被害者は社会の注目を大きく集める『公人』であって、社会の公器たる報道として真実を明らかにする以上、『公人』のプライバシーは大きく制限されている。 芸能界とマスコミは持ちつ持たれつの関係であり、俳優や芸人にとって浮名を流すことは名前を売るための「芸の肥やし」である。 などという思い込みや、特に業界上位誌では大量の部数を発行している写真週刊誌が出版社の経営を支えているという驕りが関係者に蔓延し、暴走状態に発展していく。その結果、まだ捜査途上で検分の終わっていない事件現場に無許可で踏み込んで証拠品を荒らしたり、被害者の心情や人権を全く配慮せず逆に踏みにじるような報道合戦を過熱させたり、あるいはでっち上げ記事(やらせ)や捏造記事を掲載する、また現在で言うストーカー紛いの「一発屋」が跋扈するまでになった。 この時期に至ると、写真週刊誌業界においては、競合誌との発行部数差を意識するあまりに社会規範に対する意識が甚だしく軽視されるようになり、また部数至上主義が蔓延していた。販売面ではとにかく発行部数の多い雑誌こそが優秀であり、誌面制作の場でもその様な記事を確保できる記者や持ち込めるライターが優秀とされたのである。そのことから、「事件・事故の写真は死体が写っててナンボ」や、「芸能人は致命的スキャンダルを晒させてナンボ」という、売上を確保するための過激で話題性の高い誌面だけが求められ、挙げ句には「芸能人にスキャンダルを起こさせてナンボ」という、とにかく刺激的でより発行部数が稼げる誌面さえ作れるならば、手段は全く厭わないという風潮まで見られるようになっていた。芸能界側からも、この様な誌面作りに乗じて、人気芸能人や若手の注目株と目されている俳優やスポーツ選手を絡めて男女の肉体関係などのスキャンダルの構図を作り出し、写真週刊誌、ついでテレビのワイドショーに計画的に情報をリークさせて話題として盛り上げさせることで、自身の売名のために利用しようとする三流の芸能タレントやグラビアアイドル、アダルトビデオ女優までもが続々と出現するに至った。また、全盛期が終わった一時代前の「一流芸能人」を巡る話題でも、話題の人物とのゴシップを作り出して自ら渦中に入ることで、芸能人が知名度の復活やメディア露出増などを意図的に仕掛けたと疑われる様なケースも少なくない。ある意味では編集者、カメラマン、ライター、芸能人全てのモラルが崩壊した中で、『報道の自由』という言葉の独り歩きと暴走が平然かつ公然と行われたわけであるが、「有名人にプライベートは存在しない」「報道のためなら人権すら無視する」「有名人の職業生命を脅かしてでも部数を稼ぐ」「売名目的のゴシップに上乗りする」というこれら姿勢は、やがて数々の破綻と問題を招くことになった。 1986年12月、ビートたけしたちによるFRIDAY編集部への襲撃事件が起きる。この事件では、一般大衆からは加害者側に対する同情が比較的集まり、逆に被害者であった筈の写真週刊誌編集部そして写真週刊誌業界全体に厳しい視線が集まる結果となり、写真週刊誌業界にとって大きなターニングポイントとなる出来事になった。だが、この事件で写真週刊誌業界全体が様々な批判を受けても業界の体質は相変わらずで、実際に作り続けられる誌面は、標的とされる著名人はもとより、読者たる一般の大衆にとっても不快感を催しかねないだけの内容が相変わらず多くを占め続けた結果、数年も経たない内に読者層からも見限られ、発行部数の凋落が始まる。 また、過当競争による写真週刊誌の行き過ぎた取材や歪んだ過熱報道から生じた、芸能界と写真週刊誌との対立や関係断絶は、やがて写真週刊誌を刊行する出版社の他の部門にまで悪影響を及ぼし始めた。芸能マスコミ自身が巨大化したことによって受け手となる一般大衆の注目と監視の目もより多く集まるようになったが、スキャンダルや不祥事が尽きない芸能界やマスコミ全体に対して一般大衆はやがて高潔なモラルを要求するようになり、芸能マスコミ自身もやがて世論先導者的な態度を取り同様の主張を行うように変質していった。結果、芸能人個々でもマスコミの記事に対して「芸の肥やし」などと悠長な態度を取っている余裕がなくなり、不本意な記事に対しては事実ではないということを訴訟を介してでも証明することが、その職業生命を守るために求められる様になった。そのため、写真週刊誌と出版社は芸能人や芸能事務所との間で少なからず訴訟や紛争を抱え込むようになった。また、記事での取り扱われ方に不満を持ったことを理由として、「(写真週刊誌の発行元である)XX社の取材には一切応じず、XX社が原作や企画で関わるドラマ・映画にも一切出演しない(させない)」というスタンスを半ば公然と取る芸能人や芸能事務所が現れたことも、写真週刊誌にはマイナスに働いた。つまり、写真週刊誌の独断専行の素っ破抜き記事が原因となって出版社と芸能事務所が対立したことが原因となり、同じ社内から刊行された漫画や文芸作品の映像化に際して出演依頼を蹴られて、監督や原作者の意向、あるいはファンの要望に沿ったキャスティングが組めなくなる、あるいはヒットしたテレビドラマの新シリーズの企画が頓挫するなど、関連作品の制作に悪影響を及ぼす事態までもが発生するようになったのである。 このような状況に至り、出版社の経営陣は写真週刊誌を持つことによる利益や報道の自由という大義名分よりも、写真週刊誌の存在が出版社の組織・事業に及ぼす弊害の大きさについて考えざるを得なくなる。写真週刊誌は芸能界を初めとする様々な分野の人物・組織との間で様々なトラブルを引き起こしたが、これはやはり経営陣にとっても頭痛の種となることが多いものであった。また、ゴシップの売り込み・揉み消しなどを利用しての一儲けを企んで編集部に出入りする人間の中には、反社会的勢力や各種示威運動などとの繫がりをちらつかせる様な胡散臭い人物も少なからず見られ、この様な人物と編集部員との不適切な関係なども社内外から指摘され、これは現在で言うCSRや企業コンプライアンスなどの観点から経営陣にとっても看過できない要素となってゆく。 かくて、写真週刊誌は発行部数が低迷し始めると体質の改善や休廃刊が検討されるようになっていき、まず発行部数の低いものから順に淘汰される時代が訪れた。大手出版社の写真週刊誌「3FET」5誌の内、下位のE(Emma)とT(TOUCH)がまず脱落し、3F時代へと突入する。 また、1990年代以降、出版業界の収益強化策として必須の要素になったメディアミックスも、こと写真週刊誌に限れば制約を厳しくさせるものであった。メディアミックスによるビジネスには俳優や芸能事務所との関係の構築・強化が不可欠であり、出版社にとっても重要でありまた急務となった。そのため出版社は、写真週刊誌の記事に反発して上述した様な形での関係断絶や顧問弁護士などを介した圧力を明に暗にちらつかせる芸能人・事務所に対し、自社ビジネスへの出演・関与の見返りとして編集部に命じてスキャンダル記事の掲載を見送り記事の部分・全面差し止めを行うということが増えてきた。部分差し止めには明らかにスキャンダラスな内容の写真に対してもキャプション記事では批判的・悪意ある表現を極力控えることも増えてきた。また、その様な裁判や紛争への対応や処理にまつわる労力や費用も、一件一件は小さくとも抱え込む件数が多くなれば決して馬鹿にできないスケールになり、時代の変化と共に高額訴訟を提起されるリスクをも抱え込むなど、編集部・出版社にとっても小さからぬ負担となった。 その様なことから、撮影に成功していれば全盛期の編集方針ではまず間違いなく掲載していたであろう、芸能人のイメージを凋落させるようなスクープ写真についても、掲載について意図的に手加減した、あるいは見送ったのではないかとされるケースも増えてきた。同様に裏が取りきれない記事も、訴訟を起こされた時に形勢が不利になる大きな要因となるため、安易に掲載には踏み切れず掲載を見送るという状況が多々見られる様になった。この場合、芸能事務所も刑事裁判や民事裁判に訴え出ずとも出版社との間で「貸し借り(清算も参照)」の関係を作ることもできるため、メディアミックス展開にプラスに働く効果も出てきた。当初、こうした写真をスクープとしてはばかりなく掲載することで部数激増の原動力としていただけに、自社の商業的な都合でいとも簡単に振り上げた拳を降ろすという、創刊当初とは致命的に矛盾した編集方針が読者層から見透かされていたことも、部数凋落の一因となった。 一方では、その後も、オウム真理教に関する一連の記事、神戸連続児童殺傷事件(FOCUS)、伊丹十三に関する記事(FLASH)などで、取材方法や記事内容が社会問題となり、一般大衆からの厳しい批判が巻き起こり、マスコミに対する一般大衆の監視の目もより厳しいものになっていった。 もっとも、過激化の一辺倒を辿った写真週刊誌の制作手法は、1990年代以降、日本のマスコミ全体がイエロー・ジャーナリズム化していく、その元凶とも言えるものであった。写真週刊誌全盛期の世界を渡り歩き業界を支えた「一発屋」には、後にBUBKAなどのイエロー・ジャーナリズムという意味でより先鋭化し、写真週刊誌以上に過激で手段を選ばぬセンセーショナリズムを売りとする雑誌やインターネットサイトへと活動の場を移していった者も少なくない。写真週刊誌のブームをある意味では取り込み、競合する形で、女性週刊誌やテレビのワイドショーなどでは文化・カルチャー的な側面が軽視され、従来以上によりセンセーショナルで刺激的な記事を追求するスタイルへと体質を変化させていくことになった。さらに、その過程においてTBSがTBSビデオ問題に代表されるオウム真理教の報道を巡っての一大不祥事を引き起こし、報道・ジャーナリズムや報道機関そのものへの国民の信頼を著しく失墜させる非常に重大な事態にまで発展してゆくことになる。
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