著作での紹介
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1936年:キュノーと云う人の作った蒸汽車:小型自動車年鑑 モーターファン社編 「1769年(166年前)にパリの街を走行したのであるが、その速度は人がゆっくり歩く位だったということである。キュノー氏のこの歴史的蒸汽車の一つは今尚パリの公立工芸学校に保存され、ロンドンの南ケンシントン博物館にはその模型が所蔵されているということである。」 1937年:ニコラス・ジョセフ・クノー、自動車:尾崎正久 日本自動車発達史(明治編) オートモビル社 P8 「1768年クノー大尉は3台の蒸汽自動車を作ったが、2台は失敗し、翌69年他の1台を見事に完成、これを野砲牽引車とすべく試み、上官に対し意見書を提出している。」 1949年:クノー大尉、コナツチ:モーターファン1949年4月号 1949年:ニコラス・カグノーの自動推進式の車、蒸気車:モーターファン1949年10月号 P48 自動車小史 大友健 「フランスの陸軍技師ニコラス・カグノーこそは道路上を自力で走る最初の蒸気車を作った栄誉を担う者です。車は約2トン半あって時速は6マイル(9.6キロ)でした。ボイラーの容量が小さ過ぎたので車は15分しか走ることが出来ず、1度走れば蒸気圧力を高めるのに又それだけの時間停車しなければならないという代物でした。18ヶ月後で2号車も作られましたが結局この車は失敗に終わりました。」 1949年:自動車入門 日産自動車 松林清風 川津書店 P6-P7「1769年にフランスの工兵大尉「ニコラ・ジョセフ・キュニョ」がかの「ニューコメン機関」を応用した人類最初の自動車を発明しました。キュニョ大尉の自動車は前方に蒸気を作る汽缶を三輪車にとりつけたもので、その汽缶の水はすぐに沸騰してなくなってしまい、その為人達はその車が走っているまわりをぐるぐる歩きながら見られたと云われています。速度も時速5キロ(3マイル)と云われ、初めてパリーで公開したときは平均3マイル4分の1でしたが、しかし当時としては大発明で非常な評判でありました。(中略)「危険な車を作った男」と云う極印をおされて牢獄につながれ、(中略)革命後ナポレオン一世は、このキュニョ車に多少の改良を加えれば、確かに軍用になることを認め、再びキュニョ大尉に多額の俸給をあたえて研究に従事させましたが、遂にその効果は上がらずに終わりました。しかしこのキュニョ車こそ「原動機を用い、軌道によらずして、運転する車両」である自動車の元祖であることは間違いありません。」 1980年:キュニョーの大砲牽引車:世界自動車図鑑 徳大寺有恒訳 (1977年 A.L. Lewis and W.A Musciano著 Automobiles of the World ISBN 0-671-22485-9 でのCUGNOT'S ARTILLERY TRACTORの訳)P12 「いかにも素朴な―かつ無細工で扱いにくい―ものではあったが、キュニョーの機械は自動車の第一の先駆と考えられている。そして、パリを自動車発祥の地としたのである。」P17「最初の自力走行路上車の名を冠せられているこの蒸気駆動三輪車は、大砲を牽引するためにつくられたものだった。上の図は1771年につくられたものである。設計者はフランスの軍事技術者、ニコラス・キュニョー。バランスが悪く、頭でっかちのこの車の性能は、お粗末だった。これはパリの国立工芸学校に展示されている。」 1980年:キュニョーの砲車:人間は何をつくってきたか~交通博物館の世界~ 自動車 NHK編刊 西内久典・水野憲一の解説により、見開き大判カラー写真とともにP14に「自動車のはじまりは軍用だった」「フランス王ルイ15世の砲兵隊将校だったニコラ・ジョセフ・キュニョーが製作したもので、大砲を運ぶためにつくられた。(中略)1769年につくったといわれる第1号車はなく、これは翌70年製の第2号車である。(中略)時速約3.5キロ、15分ほど走っては、次の蒸気圧があがるのを待たなければならなかった。それでもこれは、蒸気エンジンで最初に走った乗り物であった。」との記述。P42から「史上最初の自動車」と見出し「壁に激突したキュニョーの砲車」と小見出しで、約3ページにわたる解説をしている。A・ド・バストの自動車事故記述の引用や、大英百科事典からとしてブリタニカ記述の合意、バショーモンの1769年10月の記述などを引用している。P150からの樋口健治による「自動車の発想から実用化まで」と題した解説での「自走車から自動車へ」の項では、「人工動力による自走車第1号をイタリアのジョバンニ・バチェスタの1589年頃の衝動式蒸気タービンを使ったものといえるが、これは小型の模型である。ギネスブックによれば、フェルディナンド・ヘルビエストが1668年に作った同じ原理の模型自走車を自動車第1号としている。」と紹介している。樋口はキュニョーについては本文にくわしいとのみ記述。 1993年:砲車: 世界を動かす技術=車 荒川紘 P92『フランスの陸軍技官ニコラ・キュニョー(1725-1804)は、すでに1769年に、高圧蒸気で作動する蒸気機関を動力とする砲車を製作していた。時速3.2キロメートルで走った、この先駆的蒸気車は、その意義が認識されることなく歴史の中に埋もれてしまう。』 1995年:キュニョーの砲車:自動車の発達史 荒井久治 P2 「自動車への利用を考えたのはベルギー人で、フランスのルイ15世の軍事技術者のニコラス・ジョセフ・キュニョー大尉であった。国費で大砲を運ぶために造られた蒸気自動車は「キュニョーの砲車」と呼ばれた。1769年に第1号車を造り、1770年に第2号車を造った。」「ヴァンセンヌの森で試走中に城壁に衝突させてしまったそうで、最初の蒸気自動車は自動車事故第1号でもあった。」「1770年の第2号車は、その後ナポレオンに発見され、修復されてパリ工業博物館に保存されている。」 1996年:キュノー、大砲運搬車(P6):自動車技術史の事典 樋口健治 P7『いうまでもなく自動車の歴史第1号車はフランスの砲兵将校キュノーが1770年に大砲運搬用としてつくった蒸気自動車であるとされている。』ブリタニカ百科事典にフランス自動車連盟(ACF)とイギリス(RAC)の協議のうえ歴史第1号車としたと記されている。 1999年:2号車を指して「ファルディエ」: 自動車「進化」の軌跡 影山夙 P18「世界で最初の蒸気自動車」というタイトルで「オーストリーの農民の子として生まれたニコラス・ジョセフ・キューニョーは、(中略)時の実力者であったエティエンヌ・ショアルズ陸相の公式の許可を得て、自動車の開発を進めることになった。定置式エンジンとしては時あたかもニューコメンの蒸気エンジンの時代で、ワットより前のことである。苦労を重ね1769年、即ち6年の歳月をかけて1号車を完成させた。だが、これはうまく動かなかったので自動車とよばれる資格はなく、続けて翌1770年2号「ファルディエ」を完成させ、この車はとにかく走ることは走った。」多数の写真を掲載し6ページを費やし解説している。また、保管されているファルディエについて、1)これが世界最初の自動車で1号車。2)2号車だが、1号車はろくに動かずこれが事実上世界で最初の自動車。3)1号車も動いたが現存せず2号車が残った。4)後年に作られたレプリカ。の4択を示し、制作年代も諸説あることを示し、自身は2)の説をとり1770年説としたと明記している。 2004年:欧米日・自動車メーカー興亡史 桂木洋二 P11「キニュヨーの蒸気自動車で、動力付きとしては初めてのもの。」「博物館でレプリカが見られるものだ。」 2007年:図説 前輪駆動車 影山夙P10「エンジン(原動機)を動力として世界で最初に地上を走った乗り物は、1770年にフランス陸軍の技術大尉ニコラス・ジョセフ・キューニョーがつくった大砲運搬用の三輪自動車で、これは蒸気エンジンで前輪を駆動するものであった。」またP76 、P77にも記述あり。
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