著作での紹介とは? わかりやすく解説

著作での紹介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 02:19 UTC 版)

キュニョーの砲車」の記事における「著作での紹介」の解説

1936年:キュノーと云う人の作った蒸汽車:小型自動車年鑑 モーターファン社編 「1769年(166年前)にパリの街を走行したのであるが、その速度は人がゆっくり歩く位だったということである。キュノー氏のこの歴史的蒸汽車の一つ今尚パリ公立工芸学校保存されロンドンの南ケンシントン博物館にはその模型所蔵されているということである。」 1937年:ニコラス・ジョセフ・クノー、自動車尾崎正久 日本自動車発達史明治編) オートモビル社 P8 「1768年クノー大尉は3台の蒸汽自動車作ったが、2台は失敗し、翌69年他の1台を見事に完成、これを野砲牽引車とすべく試み上官対し意見書提出している。」 1949年クノー大尉、コナツチ:モーターファン1949年4月1949年:ニコラス・カグノーの自動推進式の車、蒸気車:モーターファン1949年10月号 P48 自動車小史 大友健 「フランスの陸軍技師ニコラス・カグノーこそは道路上自力で走る最初蒸気車を作った栄誉を担う者です。車は約2トン半あって時速は6マイル(9.6キロ)でした。ボイラー容量小さ過ぎたので車は15分しか走ることが出来ず1度走れば蒸気圧力を高めるのに又それだけ時間停車しなければならないという代物でした。18ヶ月後で2号車作られましたが結局この車は失敗終わりました。」 1949年自動車入門 日産自動車 松林清風 川津書店 P6-P7「1769年フランス工兵大尉「ニコラ・ジョセフ・キュニョ」がかの「ニューコメン機関」を応用した人類最初自動車発明しました。キュニョ大尉自動車前方蒸気作る汽缶三輪車とりつけたもので、その汽缶はすぐに沸騰してなくなってしまい、その為人達はその車が走っているまわりをぐるぐる歩きながら見られたと云われています。速度時速5キロ(3マイル)と云われ、初めパリー公開したときは平均3マイル4分の1でしたが、しかし当時としては大発明で非常な評判ありました。(中略)「危険な車を作った男」と云う極印をおされて牢獄つながれ、(中略革命ナポレオン一世は、このキュニョ車に多少改良加えれば確かに軍用になることを認め、再びキュニョ大尉多額俸給あたえて研究従事させましたが、遂にその効果上がらず終わりました。しかしこのキュニョ車こそ「原動機用い軌道によらずして、運転する車両」である自動車元祖であることは間違いありません。」 1980年キュニョー大砲牽引車世界自動車図鑑 徳大寺有恒訳 (1977年 A.L. Lewis and W.A Musciano著 Automobiles of the World ISBN 0-671-22485-9 でのCUGNOT'S ARTILLERY TRACTORの訳)P12 「いかにも素朴な―かつ無細工扱いにくい―ものではあったが、キュニョー機械自動車第一先駆考えられている。そして、パリ自動車発祥の地としたのである。」P17「最初自力走行路上車の名を冠せられているこの蒸気駆動三輪車は、大砲牽引するためにつくられたものだった上の図は1771年つくられたものである設計者フランスの軍事技術者、ニコラス・キュニョー。バランス悪く頭でっかちのこの車の性能は、お粗末だった。これはパリ国立工芸学校展示されている。」 1980年キュニョーの砲車人間何をつくってきたか~交通博物館世界自動車 NHK編刊 西内久典・水野憲一の解説により、見開き大判カラー写真とともにP14に「自動車はじまり軍用だった」「フランス王ルイ15世砲兵隊将校だったニコラ・ジョセフ・キュニョーが製作したもので、大砲を運ぶためにつくられた。(中略)1769年つくったといわれる第1号車はなく、これは翌70年製の第2号車である。(中略)時速3.5キロ15分ほど走っては、次の蒸気圧があがるのを待たなければならなかった。それでもこれは、蒸気エンジン最初に走った乗り物であった。」との記述P42から「史上最初自動車」と見出し「壁に激突したキュニョーの砲車」と小見出しで、約3ページにわたる解説をしている。A・ド・バストの自動車事故記述引用や、大英百科事典からとしてブリタニカ記述合意、バショーモンの1769年10月記述などを引用している。P150からの樋口健治による「自動車発想から実用化まで」と題した解説での「自走車から自動車へ」の項では、「人工動力による自走第1号イタリアのジョバンニ・バチェスタの1589年頃の衝動式蒸気タービン使ったものといえるが、これは小型模型である。ギネスブックによれば、フェルディナンド・ヘルビエストが1668年作った同じ原理模型自走車を自動車第1号としている。」と紹介している。樋口キュニョーについては本文にくわしいとのみ記述1993年砲車世界を動かす技術=車 荒川紘 P92『フランスの陸軍技官ニコラ・キュニョー(1725-1804)は、すでに1769年に、高圧蒸気作動する蒸気機関動力とする砲車製作していた。時速3.2キロメートル走ったこの先駆的蒸気車は、その意義認識されることなく歴史中に埋もれてしまう。』 1995年キュニョーの砲車自動車発達史 荒井久治 P2自動車への利用考えたのはベルギー人で、フランスルイ15世軍事技術者のニコラス・ジョセフ・キュニョー大尉であった国費大砲を運ぶために造られ蒸気自動車は「キュニョーの砲車」と呼ばれた1769年第1号車を造り1770年第2号車を造った。」「ヴァンセンヌの森試走中に城壁衝突させてしまったそうで、最初蒸気自動車自動車事故第1号でもあった。」「1770年第2号車は、その後ナポレオン発見され修復されパリ工業博物館保存されている。」 1996年:キュノー、大砲運搬車(P6):自動車技術史事典 樋口健治 P7いうまでもなく自動車歴史第1号車はフランス砲兵将校キュノーが1770年大砲運搬用としてつくった蒸気自動車であるとされている。』ブリタニカ百科事典フランス自動車連盟(ACF)とイギリス(RAC)の協議のうえ歴史第1号車としたと記されている。 1999年2号車指して「ファルディエ」: 自動車進化」の軌跡 影山夙 P18「世界で最初蒸気自動車」というタイトルで「オーストリー農民の子として生まれたニコラス・ジョセフ・キューニョーは、(中略時の実力者であったエティエンヌ・ショアルズ陸相の公式の許可得て自動車開発進めることになった定置エンジンとしては時あたかもニューコメン蒸気エンジン時代で、ワットより前のことである。苦労重ね1769年、即ち6年歳月をかけて1号車完成させた。だが、これはうまく動かなかったので自動車よばれる資格はなく、続けて1770年2号「ファルディエ」を完成させ、この車はとにかく走ることは走った。」多数写真掲載し6ページ費やし解説している。また、保管されているファルディエについて、1)これが世界最初の自動車1号車。2)2号車だが、1号車はろくに動かずこれが事実上世界で最初自動車。3)1号車動いた現存せず2号車残った。4)後年作られレプリカ。の4択を示し制作年代諸説あることを示し自身は2)の説をとり1770年説としたと明記している。 2004年欧米日・自動車メーカー興亡桂木洋二 P11「キニュヨーの蒸気自動車で、動力付きとしては初めてのもの。」「博物館レプリカ見られるものだ。」 2007年図説 前輪駆動車 影山夙P10「エンジン原動機)を動力として世界で最初に地上走った乗り物は、1770年フランス陸軍技術大尉ニコラス・ジョセフ・キューニョーがつくった大砲運搬用の三輪自動車で、これは蒸気エンジン前輪駆動するものであった。」またP76 、P77にも記述あり。

※この「著作での紹介」の解説は、「キュニョーの砲車」の解説の一部です。
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