世界最初の自動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 02:19 UTC 版)
「キュニョーの砲車」の記事における「世界最初の自動車」の解説
「蒸気機関を動力源とし、ピストンの往復運動を回転運動に変え、前輪を駆動する」という機械的な自力推進力をもつ荷車を開発し試走させた。キュニョーは、人が乗って移動できる自力で推進する車両を開発しその車両を実際に走らせた最初の人物である。キュニョーは次世紀19世紀に興る蒸気機関車と自動車の先駆者とされており、その車両が現存することが最も強力な証拠となっている。 現代の自動車は一個人の創作でも、一日でできたものでもなく、世界中でなされた努力のたまものであり技術の集積である。現代の自動車に使用されている特許は10万以上もある。初期の理論的な設計として、レオナルド・ダビンチやアイザック・ニュートンが引き合いに出されるが、これも多くの人が描いた夢を代表するものである。自走した自動車としては1599年にシモン・ステヴィンが帆を張ったワゴン車で風力を利用し行っている。これは現代の自動車が走行するためにエネルギーを伝達する方法であるトラクション(摩擦力による推進)で走るものではなかった。一方、1600年代後半に、フェルビーストが蒸気で走る車を17世紀後半に作った。原始的な蒸気機関を乗せ自走した。しかしこれは全長60センチメートルの大きさで現代的に表現すれば模型自動車であり人は乗れず、また操縦もできなかった。 キュニョーの紹介では自動車の歴史の冒頭に奇妙な蒸気自動車をつくった人物であると紹介され、ほとんど必ず世界初の自動車事故を起こしたことにふれられる。その後のコメントではボイラー部が重くバランスが悪く、あまりうまく作られていなかったとコメントが続く。時には自動車事故のために投獄されたとの記述がつくこともある。カールベンツが現代ガソリンエンジン自動車の祖として賞賛されることとは対照的で前時代的創作物としての評価が多い。しかしフランスではショワズールとグリボーバルとキュニョーとフランス砲兵工廠の手とルイ15世の資金によって、ベンツのガソリン自動車の発明から100年以上前、また英国での蒸気エンジンを動力とした乗合バスの実用化から50年も前の時代に、そのころやっと一般に使われ始めた蒸気機関を使用し動力で自走し、人が運転し移動できる機械を実際に作り出した。5トンの大砲を乗せることが仕様とされ、その試運転で2.5トンを引いたとの記述が残っている。この時代に実際に製作できたのはフランスという先進国の後ろ盾があってのことだった。 キュニョーの1769年の1号車は英国の王立自動車クラブ(en:RAC plc 1897年12月創立)およびフランス自動車クラブ(fr:Automobile Club de France1895年11月創立)が「自動車として走行した」と認定され世界初の自動車とされた。これによりパリが自動車生誕の地とされるこの1769年が、世界で初めて自動車が走った年とされる。現存するため「現存する最古の自動車」ともいわれる。 車は、前輪一輪後輪二輪の三つの車輪をもつ三輪車で、前方に蒸気機関(蒸気エンジン)を搭載し、かじ取りも兼ねた前輪一輪を駆動しトラクション(摩擦を利用した推進力)で進んだ。後世の目で見れば、エンジン機構が前方にあり前輪を駆動した世界初のFF車でもある。 マードックが発明しワットが特許を取得し、一般にワットが初めて実現したと紹介されることの多い「ピストン往復運動の回転運動への変換」も、キュニョーがワットの10年前に実現している。それまでの蒸気機関はピストンによる往復運動を利用するだけだったが、キュニョーはこれを継続的な回転運動に変え、車輪を駆動し、トラクション(摩擦を利用した推進力)で進むことを実現した。往復運動する蒸気機関を回転運動として利用したのはキュニョーが最初である。 蒸気機関についても同様で、蒸気で動いた最初の乗り物としてスチブンソンの蒸気機関車が出てくるがそれは「大きな間違い」でトレビシックの蒸気機関車(1801年)でもフルトンの蒸気船(1807年)でもなく最初のものはキュニョーの蒸気自動車だった。 「自分の動力で推進し、人を乗せ、物を積載し、人の操縦により移動する初の車、つまり自動車」として現実のものとなった。
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