世界書誌目録
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世界書誌目録(Repertoire Bibliographique Universel:RBU)は、1895年にオトレとラ・フォンテーヌがブリュッセルで設立した国際書誌協会(Institut International de Bibliographie:IIB)の活動の一環として作成された。国際書誌協会は、知識を体系化しようとする百科事典作成の試みや、知識の統合を通じて世界平和を発展させるという思想に影響を受けて設立された、世界中すべての分野の学術文献の書誌情報を把握することを目的に設立された機関である。国際書誌協会の書誌活動は、第一次世界大戦が始まり、ブリュッセルにドイツ軍が侵攻するまで続けられた。 世界書誌目録は3×5インチ四方のインデックスカードのコレクションで、1895年の終わりまでに世界書誌目録に収録されたインデックスカードの数は40万枚に成長し、1942年には1560万枚に達した。インデックスカードは、当時の世界の有力な図書館の冊子体目録や個人、学協会、図書館が刊行した書誌を収集し、それらを書誌的な単位に分解してカードに貼り付けることによって作成されたが、対象はそれらの著者ファイルや件名ファイルなどの単なる書誌情報にとどまらず、1905年には視覚資料を扱ったイメージファイル、1907年には新聞の切り抜きやパンフレット、国際書誌協会あての手紙などの全文ファイルも対象となった。オトレは、文献のページや段落、文章などの部分も書誌的な単位であると考え、それらの部分を索引づけて分類した。このアプローチはMonographic Principleと呼ばれている。このオトレのアプローチでは、本を構成するさまざまな構成要素はインデックスカードに分割されており、結び付きのない状態で存在しているが、探索を行う際には「取り外しが可能な留め具や連結棒などの方法によってすぐに結び付けることができる」という特徴を持っている。 著者順と分類順の2本立てにより、インデックスカードは管理された。インデックスカードの分類には、初期はデューイ十進分類法が、のちにオトレとラ・フォンテーヌが作成した国際十進分類法が用いられた。国際十進分類法は、1904年に出版作業が開始され、最初の版は1907年に刊行された。オトレとラ・フォンテーヌの独創的な点は、図書館目録や書誌編纂という従来の技術を「文献」という単位を起点にして、国際的な文献システムあるいは情報システムを作り上げたことであるが、国際十進分類法は「文献」という情報単位を処理するための体系として考案された。現在でも、国際十進分類法は、英語圏以外の多くの図書館や書誌サービスで利用されているほか、BBC Archives(英語版記事)などの伝統的な図書館や書誌サービス以外のいくつかのサービスでも利用されている。 オトレは1856年に、世界書誌目録を利用して、検索質問に対して手紙や電話で回答したり、質問者に適切なインデックスカードのコピーを送付する、有料の質問回答サービスを開始した。このサービスの利用者には、探索結果が50件以上になるような検索質問を送らないようにという注意が促されていた。1912年までに、このサービスは年間1,500件以上の検索質問が寄せられ、インデックスカードの年間コピー枚数も1万枚を超えるようになった。研究者のAlex Wrightは、このオトレのサービスを「アナログ検索エンジン」であると述べている。 オトレは、ブリュッセルの国際書誌協会にある世界書誌目録の複製を作成し、世界中の主要都市で閲覧可能にするという構想を持っていた。1900年から1914年の間に、世界書誌目録の完全版の複製を、パリやワシントンD.C.、リオデジャネイロなどに寄託する試みがなされた。しかし、膨大なインデックスカードの複製や輸送は困難を極めたため、数十万枚以上のインデックスカードを寄託できた都市はなく、このオトレの構想は実現しなかった。
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