世界最初のキリスト教国化とは? わかりやすく解説

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世界最初のキリスト教国化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:51 UTC 版)

アルメニアの歴史」の記事における「世界最初のキリスト教国化」の解説

当初アルメニアゾロアスター教信仰のもと、ローマ式の中央集権廃したパルティア式地分権をとった。書き言葉アラム文字からパルティア文字へと変わり、この時期古典アルメニア語ペルシア語影響強く受けた。しかし、サーサーン朝伸長によって226年本家アルサケス朝パルティア滅びると、分家アルサケス朝アルメニア立場も危ういものとなったパルティアを救うために兵を挙げたアルメニア王暗殺され252年王位サーサーン朝臣下アルタヴァスデス(フランス語版)に簒奪された。サーサーン朝の内紛にともないローマ庇護されたティリダテス3世英語版)がアルサケス朝による王位回復することができたのは、287年になってのことであった伝説によれば、国へ戻ったティリダテス当初国内キリスト教徒激しく弾圧したという。しかし、そのうちティリダテス正気失って四つ足野山駆け回るようになった。このとき、王の狂気癒したのが、牢につながれていた宣教者、啓蒙グレゴリウス英語版)(かつてアルメニア王暗殺したパルティアアナクドイツ語版の子とされるであったこれを機に王家は皆グレゴリウス洗礼を受け、キリスト教へと改宗したという。301年ティリダテス改宗の地ヴァガルシャパト聖堂エチミアジン築きキリスト教アルメニア国教とした。ローマによるキリスト教の国教化先立つこと79年前、世界最初キリスト教国の誕生であった(ただし、実際に国教化実施されたのは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス退きミラノ勅令発されてからであったとみられる)。 その他にも、ティリダテス豪勇統率力によって、今日に至るアルメニア文化ロシア語版)の基礎築きアルメニア中興の祖たる「光輝王」として讃えられている。しかし、同時にティリダテス異教激しく弾圧し従来信仰維持する諸侯との間に軋轢招いたサーサーン朝からはゾロアスター教への再改宗の強い圧力も受け、ついにティリダテス土地貴族によって暗殺された。

※この「世界最初のキリスト教国化」の解説は、「アルメニアの歴史」の解説の一部です。
「世界最初のキリスト教国化」を含む「アルメニアの歴史」の記事については、「アルメニアの歴史」の概要を参照ください。

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