著作『師父の生涯』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 12:27 UTC 版)
「トゥールのグレゴリウス」の記事における「著作『師父の生涯』」の解説
彼の『師父の生涯』は、彼よりも前の世代の最も傑出した人々20人を扱った聖人伝であり、司教、聖職者、修道士、修道院長、聖人、隠者の生涯といった広い範囲の初期中世ガリアの聖なる交わりを扱っている。原題で師父が複数形なのに対して生涯が単数形になっているが、それは伝記の集合が同形の栄誉あるキリスト教徒の生き方のイメージを構成し、個々人の生涯が理想的な生き方の特質を明らかにするために構成されているからである[要出典]。例えば、聖イッリディウスはその心の純粋さゆえに称賛され、修道院長の聖ブラキウスは聖典研究に関する教育と決断のために称賛され、ブールジュのパトロクルスは弱みに直面しても揺らぐことのない信仰のために称賛され、リヨンのニケティウスはその正義のために称賛されるといったように。しかし、本書を支配するのはトリーアのニケティウスの生涯である。彼の高い権威と司牧者の責任に対する感覚は、グレゴリウスが彼を説明する際に焦点を当てたところであり、偉大であることを運命づけられ、他の人物の伝記にまたがっている。ニケティウスは頭に重みを感じ、振り向いてもそれが何か視認できなかったが、甘い匂いを感じてそれが司牧の責任であると気付いたとされる(『師父の生涯』, XVII, 1)。ニケティウスはその奇跡の栄光により他を凌駕し、神に選ばれて彼に明かされた過去と未来のフランク王の全継承を持った。 彼は聖人トゥールのマルティヌスの奇蹟に関する4巻の書でも知られている。聖マルティヌスの墓は6世紀の巡礼名所であり、グレゴリウスの著作はこの組織化された信仰を促進した。 本書の聖レオバルドゥスの伝記にグレゴリウス自身が登場する。これは二つの理由による。まず、これによって世俗の世界と霊的世界の明確なつながりが生み出され、生涯の説明が理解可能かつ認知可能な世界にしっかりと定位された、あるいは別の視点から見れば、奇蹟の存在が世俗世界に確立された。第二に、彼が悪魔に誘惑以降にグレゴリウスの仲裁がレオバルドゥスを客観的にするように働き(『師父の生涯』, XX, 3)、その働きがさらに全体として司教らの権威を高めている[要出典]。 彼の目的は、ローマ教会だけでなく、ガリア中の地方の教会・大聖堂に対して宗教的専心のさらなる深みを構築するということであった。彼の他の著書、『証聖者達の栄光』、『殉教者達の栄光』、『聖マルティヌスの生涯』とともに、普遍的なキリスト教的経験に対して地方的なものに細心の注意が払われた。こうした伝記には、奇蹟や聖人、あるいはその聖遺物を様々な地方と結びつける噂話や逸話が含まれ、読者に自分たちの地方の寺院に関する知識を植え付け、そのすぐそばに神の業の証拠をもたらした。 異端に対する攻撃も彼の聖人伝に表れ、アリウス主義はヨーロッパで活動する異端の代表格として取り上げられて、激しい批判に曝された。しばしば、異端の弱点を暴露する部分(『殉教者の栄光』, 79, 80)が炎や燃焼のイメージに着目しているが、一方でカトリック教会は寛大にも神によって与えられた守護によって正しいと証明される。 グレゴリウスはトゥール司教座を治めており、そこではフランク人の教会の集会と文脈によって、司教座の権威を確立する上で広範な利用が聖マルティヌスのグループからなされていた。グレゴリウスの聖人伝はこの必然的な結果であった。しかしこれは、聖人伝の後から意気揚々と現れた司教の代表としての力の利己的な横領とみなされるべきではなく、むしろ教義の支配と信仰の実践の管理のための努力とみなされるべきであり、彼らはそれが自分たちの集会やより広い教会の最高の関心事だと信じていた。
※この「著作『師父の生涯』」の解説は、「トゥールのグレゴリウス」の解説の一部です。
「著作『師父の生涯』」を含む「トゥールのグレゴリウス」の記事については、「トゥールのグレゴリウス」の概要を参照ください。
- 著作『師父の生涯』のページへのリンク