臨時教育会議の周辺とは? わかりやすく解説

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臨時教育会議の周辺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「臨時教育会議の周辺」の解説

寺内内閣倒壊後も審議続けていた臨時教育会議は、1919年大正8年1月に「教育効果を完からしむべき一般施設に関する建議」を内閣総理大臣原敬提出するまた、同月には皇典講究所とその管下国学院大学天皇御沙汰により年々補助金賜わることになる。その事情は以下のとおりである。 これより先、臨時教育会議では江木千之委員らがその改革案の趣旨貫徹させるために国学振起する必要を感じる。官立大学国学振起を担う状況にないので、私学の中から探したところ、皇典講究所管下国学院大学が適切であるということで話がまとまり、その拡張を図ることになる。 1918年大正7年5月皇典講究所総裁竹田宮恒久王令旨形式をもって皇典講究所国学院大学拡張命じる。令旨曰く世界大乱民心に及ぼす影響が更に甚だしくなりつつある。この時にあたって皇典講究所国学院大学設立の趣旨則り国体の本義明らかにし、道義精神徹底させ、教育規模拡張し、もって国家柱石たる人材養成し斯道のために大成を期さなくてはならない、と。以後拡張計画はこの令旨に基づくものとされる同年7月皇典講究所国学院大学拡張委員会設け政府臨時教育会議からは小松原英太郎拡張委員長に、江木千之早川千吉郎拡張委員に就く。 同年10月臨時教育会議では平沼騏一郎北条時敬早川千吉郎の3委員が「人心の帰嚮統一に関する建議案」を総会提出する提出者は3名とも平沼主催する無窮会メンバーである。小松原英太郎江木千之賛成者に名を連ねる江木実質的な提出者一人でもあると自称している。 同年12月皇典講究所組織改革して理事会を置き、小松原英太郎江木千之早川千吉郎らが理事に就く。小松原皇典講究所長にも選ばれる。そして皇典講究所国学院大学拡張趣意書拡張計画発表して募金呼び掛ける。趣意書曰く皇典講究所および国学院大学は、尊厳なる国体講明し、堅実な国民精神発揮し真摯な方法によって典故文献研究する以って目的とする」。「物質的文明偏したる弊毒は深く民心浸潤し国民道徳頽廃あまねく思想界の危機たらんとする」。「これ、本所皇典講究所ならびに本学国学院大学)が、大い内容改善し規模拡張し、ますます本来の意義発揮して、もって国民精神振興せんと欲する所以なり」と。また、拡張計画では、第1期事業の「典故文献講究」について「我が国世界無比国体有する同時にその典故文献講究要すべきもの枚挙にいとまあらず」、「同時に現代思潮もまた調査研究してこれが善導資する」といい、「講演」について「動揺せる思潮善導し、目下危機を救う唯一の方法は、我が世界無比国体闡明し、国民自覚促すにあり、よってあまねく講演会開催し主義宣伝捷径たらしめんとす」といい、第2期事業の「国法設置」に「我が国体と民族とに適合する法律研究目下急務なり」という。 この間臨時教育会議の「人心の帰嚮統一に関する建議案」は、主査委員会整理修正され、その題名を「教育効果を完からしむべき一般施設に関する建議」と改め総会揉めたあげくに別途修正して可決され1919年大正8年1月に原首相へ提出される建議曰く時局各般影響により我が思想界の変調予測できず、誠に憂慮に堪えない時弊を救わんと欲すれば国民思想の帰嚮を統一し、その適従するところ定め必要がある。そしてその帰嚮するところは、建国以降扶植培養された本邦固有の文化基礎とし、時世進展に伴いその発展大成期することにある、と。そしてその要目は以下のようにいう。 国体の本義明徴にして、これを中外顕彰する。 わが国固有の醇風美俗維持し、これに副わない法律制度改正する各国文化の長を採るとともにいたずらにその模倣とどまらず独創的精神振作する。 建国精神正義大道により世界大勢処する社会協調図り一般国民の生活を安定させるこのうち国体の本義明徴に」云々要目当初案の「敬神崇祖の念を普及せしむる」という項目を改めたのであるその内容建議附属理由書に詳しい。理由書次のようにいう(大意)。 我が国建国初めから君臣の義確乎として定まる歴代朝廷仁恵恩沢深厚であることは天地のように自然である。 海内一家億兆人民仲良く皇室奉戴し、代々蓄積醸成して、ついに一団として情に厚い美俗成した。これは他国類例見ないものであり、国家組織善美極致である。 この国体の本義明徴にし、これを中外顕彰するには、すべからくその根本精髄を明確詳細に理解させる必要がある。たとえば以下の事実などについて深く留意させるべきである。 建国ひとえに君徳由来する事実古来王道治国大方針として今日に至る事実神聖忠孝をもって国を建て、武をとうとび、民命を重んじた事実皇室臣民の関係は自然の結合成り、義は君臣にして情は父子のごとく、建国より今日まで一日動揺しない事実、 われら臣民先祖赤誠をもって皇室仕え子々孫々その意を継承して今日至り、もって忠孝一本良俗成せ事実維新初め明治天皇五箇条の御誓文神明誓い皇室みずから進んで立憲政治発端を啓いた事実帝国憲法は、皇祖皇宗臣民祖先協力輔翼により肇造した帝国基礎固め民生慶福増進させるために天皇決断をもって統治大法継承したのである事実。 この本義一般国民徹底し国体尊崇する念を鞏固確実にすることができれば断じて思想変調のために大義を誤ること(革命)はない。この本義海外にも発揮宣揚して世界道徳文化貢献しなければならない国体尊重の念を鞏固にするには、敬神崇祖(神々敬い祖先崇めること)の美風維持し、一層その普及を図る必要がある報本反始祖先の恩に報いるという礼記言葉)は東洋道徳優秀な点である。特に敬神崇祖の風習我が万世不変国体密接な関係がある。天祖天照大神)の遺訓歴代天皇奉じて国家君臨し皇位隆盛天壌無窮である。これは国体尊厳である所以であり、皇室から臣民に至るまで常に敬神崇祖をもって報本反始の義を大事にするのは当然の事に属する。 敬神崇祖の風習我が国不滅習俗である家族制度密接な関係がある。皇室神祇敬い祭祀重んじ、われら臣民父祖霊位祀る。これこそ我が家族制度における慎終追遠民徳帰厚(父母丁重に弔い祖先大切にすれば民の徳も厚くなるという論語言葉)の所以である。 敬神崇祖の風習振興する方策としては、神社荘厳維持すること、祭祀本旨周知すること、神官神職地位向上させることが最も必要である。 国体の本義明徴するに最も必要な事項皇典研究のために適切な施策を行うことにある。帝国大学その他適切な学校皇学講明方針確立し建国由来明らかにし、国体根基精髄理解させるべきである。 これと同じ月(1919年1月)、臨時教育会議委員小松原英太郎皇典講究所長の立場宮内省出向き天皇御沙汰書拝受する御沙汰書には「今般その所(皇典講究所国学院大学規模拡張の趣を聞きしめされ思し召しをもって第1期分大8年度(1919年度以降10年年々1万円まで御補助として下賜そうろう事」とされる1919年大正8年2月加藤玄智が『我が国体と神道』を著し、主に宗教立場から見た神道国体外国のそれとの違い論じる。同書次のようにいう(大意)。 余(加藤玄智)の専攻する宗教史宗教学方面より、我が国体の成立について研究試み、その淵源に溯り、そ大本闡明しようと思う。 日本において天皇現人神であり、シナ人いわゆる天または上帝ユダヤ人いわゆるヤーヴェ位置占める。 万世一系天皇奉戴する特種国体にあっては天皇即位式西洋諸国君主戴冠式と全く趣が異なる。それは、神を代理する僧侶から王冠戴くではなく天皇がみずから神霊祭祀して即位告祭し、その後臣民広く告示する、これが大嘗祭である。大嘗祭戴冠式との差異考えると、我が国体の性質西洋諸国のそれと比べて隔絶していることが分かる1920年大正9年東京帝国大学文学部神道講座新設され加藤玄智がその助教授に就く。 この間1919年5月国体論の論説集国体論纂』が出る。同年8月物集高見が『国体新論』を著す。

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