臨時政府樹立と帝政の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 09:41 UTC 版)
「オーストリア革命」の記事における「臨時政府樹立と帝政の終焉」の解説
10月30日、カール・レンナーを首班とする社会民主党とキリスト教社会党などの挙国一致的な臨時連立政府が発足した。同月末の社会民主党大会では左派のオットー・バウアーが指導部を掌握し、将来的には独立の連邦構成国として新生ドイツに参加(アンシュルス)し、目標としての社会主義革命を維持しつつ、当面は民主主義革命を進めていくことを決議した。これによって党内の結束を固めた社会民主党は臨時政府の主導権を握った。一方、帝国政府によって進められていた連合国との休戦交渉は11月3日のヴィラ・ジュスティ休戦協定により終息し、兵士が戦線を離脱して帰郷するなど軍の解体が進行した。旧軍に代わって編成された「人民防衛軍」は、社会民主党支持者を中心とする労働者から徴募されたものであり、「兵士協議会」によって運営されておりさしたる抵抗もなく軍隊内の民主化が進められ臨時政府の支持基盤となった。そして皇帝カールが国政への関与を放棄する声明を出し帝国政府が退陣すると、11月12日、臨時政府による(オーストリアがドイツ共和国の一構成部分であるとの規定を含む)暫定憲法が発布され、共和国が樹立された。この前日インフルエンザで急死したV・アドラー(社会民主党党首)に代わって外相にバウアーが就任し、アンシュルス実現に向けた外交を進めていくことになった。
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