臨時政府の大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:32 UTC 版)
「ニコライ・ネクラーソフ (政治家)」の記事における「臨時政府の大臣」の解説
臨時政府が成立すると、第一次臨時政府および第一次連立内閣において運輸相として入閣した。ケレンスキーやテレシチェンコと手を組み、臨時政府において重要な地位を占めていたという。 臨時政府内では、特に憲法制定会議の招集を最優先にすべきだと主張した。また、社会主義者との協調に積極的であり、ウクライナの民族自治にも協力した。カデットの指導者ミリュコーフは、こうしたネクラーソフを快く思わず、後に「まったく裏切り者」、「密告者」、「三等文官」と批判している。なお、ネクラーソフは、ウクライナ民族自治問題を契機にカデットを離党し、その後は急進民主党に所属した。 その後、ケレンスキーを首班とする第二次連立内閣においては副首相兼蔵相となった。しかし、コルニーロフ反乱においてケレンスキーに辞任を求めたため、反乱が失敗に終わると、彼は閣僚の地位を失った。
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