天皇機関説論争と初期民本主義とは? わかりやすく解説

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天皇機関説論争と初期民本主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「天皇機関説論争と初期民本主義」の解説

時代明治から大正へ変わる時において、統治権主体天皇であるか国家であるかについて憲法学者の間で論争起こり国体関わる事なので論壇大問題となる。事の発端美濃部達吉の『憲法講話』である。 美濃部達吉は、大正改元1年前の1911年明治44年)夏、文部省開催した中等教員講習会において憲法大意講話し、その講演筆記多少修正増補加え翌年3月付けで『憲法講話』と題して公刊する。同書では国体について次のように説く国体に言を借る変装専制政治主張排斥するとして「専門学者にして憲法の事を論ずる者の間にすらも、なお言を国体に藉りて、ひたすらに専制的思想鼓吹し国民の権利抑えて、その絶対服従要求し立憲政治仮想の下に、その実専制政治を行わんとする主張聞くこと稀ならず。〔…〕憲法根本的精神明らかにし、一部の人の間に流布する変装専制政治主張排することは、余の最も勉めたる所なりき」と述べる。 君主国民主国統治権主体区別するのは全く誤りだと論じて国家それ自身統治権主体たるもので、君主国民主国もこの点においては同様であります君主国共和国との区別は、もっぱらこの統治権を行う機関異なるによって生ずるの区別で、決し統治権主体如何によるの区別ではない。これを国体と言っても、または政体と言っても、名前は何らでも宜い訳でありますが、ただ国体という語は、従来一般に国家成り立ちというほどの広い意味に用いられているのが通常で、教育勅語中にも『これ我が国体の精華にして』云々という語がありますが、これは決し君主国体とかいうようなことを意味しているのでないことは勿論であります。それであるから国体という語を政体と同じ意味に使うことは、混難を惹き起すおそれがあって、むしろ避けた方が正しであろう思います。それはいずれにしても君主国民主国とは統治権主体区別であるとするのは全くの誤りであります」という。 天皇統治権主体とする説は国体反すると論じて君主統治権主体であるとするのは、かえって我が国体に反し、われわれの団体自覚反するの結果となるのであります。〔…〕法律上ある権利有すというのは、その権利その人利益のために存していることを言い表わすであって、〔…〕もし君主統治権主体であると解して、すなわち君主御一身利益のために統治権保有したまうものとするならば、統治権団体共同目的のために存するものではなく、ただ君主御自身目的のためにのみ存するものとなって君主国民とは全くその目的異にするものとなり、したがって国家が一の団体であるとする思想と全く相容れないことになるのであります」という。 大臣輔弼より政治を行うことが日本国体であると論じて「すべて国務について、君主国務大臣輔弼によらなければ大権を行わせらるることが無いために君主は無責任であるのであります。〔…〕我が古来政体において、藤原氏の時代武家政治時代等は勿論、天皇親政時代おきましても、その御親政と言うのは、あえて天皇御自身すべての政治を御専行あらせらるるというのではなく、常に輔弼大臣有って、その輔弼によって政治を行わせられたのである。これが実に我が国体の存する所で、これによって国体尊厳維持せらるるのであります」という。 帝国大学美濃部達吉同僚教授である上杉慎吉は、美濃部天皇機関説非難し、この説は天皇統治権主体であることを否認するものであり、日本国体破壊するのである指摘する上杉慎吉穂積八束学説継いで君主国体説依拠するが、かつては国家法人説天皇機関説を採っており、1905年明治38年)の著書帝国憲法』においてその説を述べていた。同書1910年明治43年4月にも版を重ねていたが、1911年明治44年12月付け公刊した『国民教育 帝国憲法講義』では、君主国体説国家法人説維持したまま天皇機関説放棄する上杉新説によれば機関というのは他人使用人であり他人の手足である。天皇意思は最高・独立絶対的無制限であり、自己固有の性質よるものである。天皇国家機関ではない、という。このように上杉天皇機関説放棄明らかにした3か月後に美濃部達吉が『憲法講話』を公刊したのであり、美濃部同書で「変装専制政治主張」と批判したのは上杉国体論であった上杉国体論は、天皇主権者であることを日本国体解するのである上杉慎吉雑誌太陽』に論文国体に関する異説」を載せて美濃部達吉反撃する上杉によれば天皇主権者とする通説対し美濃部異説唱えており、「断じて異説排斥する確乎たる自信あり」という。そして上杉国体について次のように論じる。天皇統治者であり被治者臣民である。主権独り天皇属し臣民はこれに服従する主客の分義は確定して乱れることがない臣民統治せず天皇服従せず。これが国体解説である。これは穂積八束の説を粗述したものであり、誰もが認めるところでもあるのに、美濃部独りこれを排斥する美濃部天皇統治権主体にあらずとし、国家すなわち人民全体団体統治権主体とする。美濃部我が国民主国見なすのである、と。 天皇機関説論争進行する中、1912年明治45年/大正元年7月明治天皇崩御する内務省神社局によれば日本国を挙げて悲哀に沈み慈父失ったかのように慟哭し、さらに皇室尊厳思いを馳せ、ここに皇室中心とする国体観念一段刺激与えたという。大正時代に入ると、民衆運動憲政擁護閥族打破掲げて桂内閣山本内閣を倒すために行われる内務省警保局によれば、この民衆運動は最も顕著なデモクラシー思想発露であって国民思想上の画期として観ることができるという。 明治天皇崩御前後井上哲次郎が『国民道徳概論』を著す。これは美濃部達吉憲法講話』と同様に前年明治44年)夏に文部省開催した中等教員講習会での講義を基にしている。同書では、国体国民道徳との関係について、日本国体万世一系天皇基礎として成立し国法学では主権所在をもって国体性質決めるが、日本主権は常に皇位にあり、これが憲法制定とともに益々鞏固になったと述べる。また国体神道との関係について、神道のうち国体に関係あるのは天壌無窮の神勅であり、この神勅が常に日本国民精神中心に引き締める論じる。同書では民主主義君主国体を調和できること説いて次のように述べる。 忠君ということに対して民主というようなことが、段々世に唱道されてきているのであります中には民本なんという字も使っているが、意味は同じことである。民主主義というようなことは余り大きな声では言わないけれども、何ぞの場合にはそれを言う。しかし民主主義説きようによっては、君主主義調和することが出来る。君主というものをチャンと立てて、そうしてこれに対して真心尽くして仕えということ人民一般ためになる。すなわち民主主義合するわけであります井上哲次郎翌年の『東亜之光』2月でも、民主主義民本という意味に解釈すれば問題ないとして、次のように述べる。 臣民ヨリ多く権利与えるようなことがないというといかなる椿事惹き起こすやも分らぬのであります民主ということは日本従来歴史から見て決して如字的に(文字通りに了解して言うべきではないのみならず憲法によってまた然りであるけれども、古来「民は惟れ邦の本なり、本固ければ、邦寧し」というように民本という意味に解釈するのは差し支えない。そうして昔より一層臣民福利重んずべきである。これは時勢変化のためである。 天皇機関説論争でも民主主義争点一つになる人民全体団体統治権主体であるとする説について、上杉慎吉がこの説を民主主義として非難したのに対し美濃部達吉は、この説を唱える者をすべて民主主義者であるかのように思わせるのは酷い中傷である、と弁じたという。そして上杉1913年大正2年)『東亜乃光』5号月に「民主主義民本主義」を発表し民本主義民主主義の用語を厳格に区別して民本主義人民のために政治することを意味するが、民主主義は文字通り人民主権論を意味しており君主主義調和できない論じる。上杉慎吉によればデモクラシーという語は民主人民主権の意味にも民本人民のための政治の意味にも用いられ西洋君主国デモクラシー称するのは民本の意味であるという。ただし、内務省警保局によれば西洋デモクラシーという語が上杉慎吉のいうように単に人民のための政治だけを意味することがあるかどうか不明であり、少なくとも西洋君主国称するデモクラシーその意味ではないという。 上杉慎吉からの攻撃対し美濃部達吉様々に弁ずるその中で1913年大正2年)に『東亜之光』の3月号から5月号にかけて掲載した論文所謂国体論に就いて」が最も詳しい。美濃部達吉は同論文で以下のように言う(大意)。 このごろ国体論、特に国体擁護ということ盛んに唱えられている。これは実は反立思想他ならない。すなわち憲法布かれたのに対し保守的反動思想を抱く一部の人が国体論名を借りて世を騒がしているのである国体についての論争ではなく立憲思想反立思想争いである。 一つ論点は、統治権主体についての学理的な問題である。国法学上、国家統治権固有する団体であるとし、したがって統治権主体国家自身であるとする見解対し、彼らは我が国体を破壊するのであるといい、我が国体は君主自身統治権主体なければこれを維持できないという。もう一つ論点実際政治に関するのである政党政治議院内閣政治我が国体の容れないところであるとし、特に最近政治動揺大正政変)を国体危機であるとする。実はこれらの問題国体と関係がない。 我が国万世一系天皇これを統治する国体であり、これは動かしてならない問題天皇国家統治するという事解説係ることであり、少しも国体触れない。これを触れたとするのは中傷である。 世の国体論者の中には日本国家外国国家と全く異なるものと考え日本国家にのみ特別の見解を採ろうとする者もいるが、甚だし誤りである。国家本質問題国体論無関係である。国体一国特有であり、国家本質各国共通である。ゆえに憲法明文拘って国家本質解しようとするのも誤りである。 君主統治権主体であるという考えは、国家君主私有物とみなすものであり、我が国体に容れるものでない。君民一心同体をなし、和衷協同心を合わせ互いに協力する)、ともに国家進運輔翼し、その間に少しも障りがないことが、我が国体である。

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