和衷協同とは?

Weblio 辞書 > 成句の検索 > 四字熟語 > 出典別 > 書経 > 和衷協同の意味・解説 

わ ちゅうきょうどう -けふ- [1][0] 【和衷協同】

( 名 ) スル
心を一つにして事に当たること。和協。 「能く-して見物喜ばせる社会百面相 魯庵

在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員ニ告ク詔勅

(和衷協同 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/05 06:10 UTC 版)

在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員ニ告ク詔勅(ざいていのしんりょうおよびていこくいぎかいのかくいんにつぐしょうちょく)とは、1893年明治26年)2月10日明治天皇より第2次伊藤内閣及び帝国議会(特に衆議院民党勢力)に対して下された詔勅のこと。和協の詔勅和衷協同の詔建艦詔勅などとも呼ばれている。


  1. ^ ただし、「吏党」という語は自由民権運動の流れを汲む民党に反対する勢力と言う意味であり、政府要人と考え方が近い保守的な人物が多いとされるものの、今日でいう「与党」・「親政府派」とは異なる存在であった。
  2. ^ 当時の衆議院は、吏党系90(うち国民協会66)、民党系151(うち自由党88、立憲改進党38、同盟倶楽部20)、中間派32、無所属16、欠員1で構成されていた。
  3. ^ 井上毅は、六十七条の対象である義務的経費を政府が自由に決定する事は、六十四条で定められた議会の予算協賛権を侵害すると捉えており、無制限の適用は不可能と考えていた。
  4. ^ 当時の日本は衆議院と貴族院の2院制であったが、予算先議権は衆議院にあるとされていたため、予算案が衆議院を通過しない限りは貴族院は何も出来ない状況となった。
  5. ^ 1893年5月19日の海軍省官制の改正によって軍令部設置が決定されたのも、海軍改革による軍政と軍令の分離の明確化を求めた民党側の要求の一つであった。
  6. ^ 国民協会会頭(党首)西郷従道は元海軍大臣。
  7. ^ 自由党は第4回帝国議会前の党大会で板垣が外交政策では政府と協力するという方針を打ち出していた事に加えて、同党幹部の星や中島信行(土佐派)が陸奥宗光外務大臣の盟友であった関係上、日英通商航海条約の締結などの「陸奥外交」には好意的であった。


「在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員ニ告ク詔勅」の続きの解説一覧



和衷協同と同じ種類の言葉


品詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「和衷協同」の関連用語

和衷協同のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



和衷協同のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
三省堂三省堂
Copyright (C) 2001-2019 Sanseido Co.,Ltd. All rights reserved.
株式会社 三省堂三省堂 Web Dictionary
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員ニ告ク詔勅 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2019 Weblio RSS