彰仁親王妃頼子とは? わかりやすく解説

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彰仁親王妃頼子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 03:25 UTC 版)

小松宮彰仁親王妃 頼子

身位 親王妃
敬称 殿下
出生 1852年8月3日
筑後国久留米
死去 1914年6月26日
東京府東京市
埋葬 豊島岡墓地
配偶者 小松宮彰仁親王
父親 有馬頼咸
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洋装の頼子

彰仁親王妃頼子(あきひとしんのうひ よりこ、嘉永5年6月18日1852年8月3日) - 大正3年(1914年6月26日)は、日本皇族小松宮彰仁親王の妃。

略歴

久留米藩主・有馬頼咸の長女。初名は満喜(まき)。明治2年(1869年)に結婚して、彰仁親王妃となる。彰仁親王との間に子供は無かった。明治36年(1903年)に夫に先立たれ、大正3年(1914年)に心臓麻痺のため[1]62歳で死去した。

明治19年(1886年)に彰仁親王と共にヨーロッパに外遊した際、金に糸目を付けずに当地のブランド物を買いあさり、明治天皇に激怒されたという話が『明治天皇紀』に記載されている。これらの形で彼女が着用・収集した装束や洋服の多くは、その死後、夫の縁により仁和寺に奉納され、現在は京都国立博物館で不定期に公開されている。

栄典

外国勲章佩用允許

脚注

  1. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)12頁
  2. ^ 『官報』第1605号「叙任及辞令」明治21年11月2日
  3. ^ 『官報』第1928号「宮廷錄事」「彙報 - 大日本帝国憲法発布記念章送付」明治22年11月30日
  4. ^ 『官報』第2068号「日本赤十字社録事」1890年5月24日。p302
  5. ^ 『官報』第968号「叙任及辞令」1886年9月20日。
  6. ^ 『官報』第1784号「叙任及辞令」明治22年6月12日




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