君主国体説とは? わかりやすく解説

君主国体説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「君主国体説」の解説

1891年明治24年2月カール・ラートゲン講義録政治学』が翻訳出版され、君主国という訳語が用いられる。ラートゲンはドイツ人政治学者であり、1882年明治15年)から1890年明治22年)まで御雇い教師として帝国大学政治学講じていた。阪谷芳郎聴講ノートに「Forms of State and Government」という章がある。翻訳書では「国体政体」と訳された。 ラートゲンは「国体政体」で、理論上歴史上国家分類し、その性質発達考究しようとするならば、国体政体憲法について、その意義区別・関係を了解する必要があるとして、次のように講義する国体とは国家形式という意味である。国体定めるというのは、国家統御主体と客体定めるという意味である。 君主国体とは、国家統御主体君主として国家君主その本体を同じくし、国家統御客体国土国民より成立するものを称する民主国体とは、国家統御主体国民全体、すなわち国民総意として、国家統御客体国土国民各個より成立するものを称する政体とは政治形式という意味である。政体定めるというのは、主権作用形式与えるという意味である。国家がその主権作用するにあたり自己の意思よるもの専制政体称し既定憲法によるもの制限政体称する憲法意義は二種類あり、一つ材料上・性質上の意義一つ形式上効力上の意義である。性質上から定義すれば憲法とは主権本体作用、すなわち国体政体規定する諸原則全体である。効力上から定義すれば憲法とは主権者憲法称する法令全体である。 憲法学者の穂積八束当初君主国体の概念憲法学用いることに否定しており、1892年明治25年)の講義録で「国体区別は、君主国共和国立憲国等の名称をもってする例ありといえども、これ皆政治論上の区別にして、法理に関係なきものなり」と断じ翌年繰り返し同じ趣旨を講する。 時の文部大臣井上毅は、国民教育基礎として日本古来国体明治政体との要旨授け必要がある考えていた。1893年明治27年4月井上毅山崎哲という人物初め連絡をとり食事に誘う。山崎哲はラートゲン『政治学』の翻訳者であり、君主国という訳語を生み出していた。井上毅同年夏に穂積八束指図して小冊子執筆させ、そのなかで君主国体についても論じさせる。井上毅はその公刊計画していたが、その点検終えたところで病死したため公刊計画頓挫する。ただ、穂積八束この年講義から、およそ憲法論ずにあたって国体如何に注目すべきことを講じ翌年講義憲法学上の君主国体説を明確にする。講義曰く国体主権所在によって区別され政体主権行使する方法によって区別されるのであり、主権一人掌理されるものを君主国体と称し我が帝国国体純粋な君主国体である、と。

※この「君主国体説」の解説は、「国体」の解説の一部です。
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