大和日置系統とは? わかりやすく解説

大和日置系統 (吉田流)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 08:50 UTC 版)

日置流」の記事における「大和日置系統 (吉田流)」の解説

日置弾正政次弟子吉田重賢を祖とする流れ吉田家代々伝えた事から、吉田流とも呼ばれる出雲派 吉田重政嫡子、重高(助左衛門出雲守、号:露滴)(永正5年1508年) - 天正13年1585年))を祖とする。 上述経緯で、吉田氏家伝主君六角義賢継承していたが、重高は義賢から返伝を受けた。重高以後子孫の助左衛門家で継承され、重賢ら代々受領名から出雲派呼ばれた。この系統吉田家嫡流ではあるが、技術的に雪荷派本流とする見解もある 。 重高の嫡男重綱(助左右衛門、号 翁・花翁・道春)(天文23年1554年) - 天正10年1582年))は父に先立ち28歳没する。『明良洪範によれば、重綱の嫡子豊隆幼少であったため、婿の吉田重氏印西派祖)に伝書類が預けられていたが、豊隆成長後に返伝がなされず騒動になったという。 豊隆は後に岩槻藩阿部正次仕えた子孫代々阿部氏仕え転封により福山藩移り家老職務めた道統明治まで継承され幕末当主豊辰は阿部正弘以降藩主師範務めたほか、執政藩校誠之館文武総裁務めた福山以外には阿部氏分家刈谷藩のち佐貫藩主)、米沢藩などにも伝わった。 重高門下から山科派左近(右)衛門派、大心派、重綱門下から寿徳派印西派分派した山科派 吉田重高の弟子片岡家次(平右衛門)またはその孫の片岡家清(助右衛門)を祖とする。 家次は重高の死後その三男業茂(左近(右)衛門派祖)を輔佐した。子の家延(平右衛門)も茂氏(大蔵派祖)らに師事し技術伝え、その次男家清は業茂の嫡子茂武の女婿で、茂氏に師事したこのように片岡家は業茂の子孫と縁が深く伝書山科大蔵各派類似するという。『本朝武芸小伝』は家清を山科派祖としている。 左近右衛門派 吉田重高の三男吉田業茂(左近(右)衛門)を祖とする。 業茂は父および片岡家次に師事し、後に叔父重勝(荷)にも師事したという。始め豊臣秀次、後に前田利家仕えた子孫技術伝え加賀藩富山藩仕えた。この系統は後に左近派とも呼ばれた大蔵派 吉田業茂の三男吉田茂氏(大蔵)(天正6年1578年)- 正保元年1644年))を祖とする。 茂氏は父に師事し始め富田信高、後に前田利常仕えた大坂の陣武功立て、1,400石に加増される。三十三間堂通し矢を7回試み、6回の天下一記録した加賀藩中心に栄えた印西派 吉田重綱・業茂の弟子吉田重氏源八郎、旧姓葛巻、号:一水法名印西一水印西)(永禄 5年1562年) - 寛永15年1638年3月4日)を祖とする。重氏近江国蒲生郡葛巻村(現滋賀県東近江市)に生まれる(吉田氏本拠川守近隣)。もと葛巻氏(吉田氏近親であるとも伝わる)で、吉田重綱(出雲派)の養子となりその娘を妻としたという。後に養父不仲になり、吉田業茂(左近右衛門派)に師事した豊臣秀次結城秀康松平忠昌らにつかえ、後に徳川家康秀忠家光拝謁した嫡子重信(久馬助)が旗本となり、家光将軍家弓術指南役となる。江戸岡山藩薩摩藩遠州地方福井藩など各地に広まる。江戸岡山藩印西派のみ「日置当流」と称される日置弾正正次からの教義血族には唯授一人血縁関係の無い弟子には免許皆伝与え日置弾正教義次世代次世代へと伝えてきた射法。その土地印西派伝承者(つまり宗家)は、その世代にただ一人しか存在しない免許皆伝者は複数居る場合もある。 一部印西派当流と呼ぶのは、江戸印西派宗家徳川将軍家弓術指南役だった事からで、将軍家流派という意味。また、岡山藩印西派当流呼ばれる所以は、池田侯と当時将軍が弓の勝負をした際に池田侯が勝利し池田侯が当家でも「当流」と称させて欲しいと願い出たところ、将軍褒美の意味当流称すことを許可した事から。 印西派戦場徒歩武者歩兵の意)が用い射法である「歩射」であり、本来は馬上弓を引く騎射」の射法である小笠原流とは根本的にその土台異なる。印西派の本来の射法は「割膝わりひざ)」という膝立ち体勢弓を引くものであり、戦場敵方から放たれる矢を避けて身を隠しながら、瞬間的に身を起こし敵を射るのに非常に適している。 現代では、その割膝練習段階とされる立ったまま弓を引く立射」の体勢一般的である。 印西派教えでは「貫(かん)・中(ちゅう)・久(きゅう)」の実践を最高とする。 「貫」は敵兵の鎧まで貫く強力な貫通力、「中」は百射百中命中率、「久」は貫・中を永久に実践できることを意味する。つまり印西派は、弓矢強力な武器であった時代において、戦場で戦う徒歩武者如何に敵を射殺できるか、その鍛錬戦場での実践のために編み出され射法であり、文字通り極めて実戦的かつ合理的なのである現代弓道においては通常の競技において的中主義であるため、貫通力相対的価値下がっていることもあり、今日では「中・貫・久」の実践を最高としているが、本来は「貫・中・久」である。 印西派における射法教えについて、物理学的・医学的等の見地からの研究筑波大旧東京教育大)で行われているが、その伝承されてきた事項について科学的な見地から否定されるものが一切発見されておらず、古来からの教え戦場での経験基づいた極めて合理的科学的なことが裏付けられている。 的は日置(へきがすみ)と呼ばれる独特の模様の物を用い多人数射る場合も一つの的を全員射るのが本来正式である。これは、集団向かってくる敵兵先頭の者を確実に射倒す事で、敵兵戦意削ぐ為である。 また、もし敵兵を射損じた場合でも、外れた矢が足元に突き刺さる方が、頭上飛び越えて行くよりもより敵に恐怖感与える事が出来るため、的は地面すれすれの低い場所に立てて稽古した近的用の的大きさ人間胴体の幅を想定しているとされている。それ故、上や下に外す事よりも、的の左や右に外す事の方が良くない事だとされている。 また、的は約15間(28m)先に設置するが、これは戦場での敵の位置想定したのである。これは、直接攻撃用の武器の中で最も攻撃距離の長い届かず、かつ遠すぎない距離である。 現在もこれらに習い近的場合流派問わず直径一尺二寸(36cm)の的を15間(28m)先の低い位置設置するのが一般的である。 徳山右衛門から明治初期免許受けた浦上直置が創始した、「三分の二」とよばれる動作をとる浦上一派が現在関東中心に活動している。「三分の二」とは、「打起し」から「引分け」てくる間、矢の高さが眉毛のあたりになった時に一度動き止める動作である。しかしまた、三分の二」を取らない昔ながら印西派各地数多く残っている。 印西派中でも薩摩日置備前日置遠州系等の系統詳しく系譜さかのぼる事が出来る。 有名な射手としては、弓道教本編集関わり射法制定委員であった浦上榮範士十段全日本弓道連盟副会長務めた村上範士十段東京教育大学教授ドイツ武道連盟師範であった稲垣源四郎範士九段がいる。 大心派 吉田重高の弟子田中秀次(号:大心)を祖とする。秀次は京都の人。 寿徳派 吉田重綱の弟子木村寿徳を祖とする。 寿徳近江国堅田出身で、もと飼氏を称していた。 雪荷派(せっかは) 吉田重政の四男(異説あり)、吉田重勝(六左衛門、号:荷)(永正11年1514年)- 天正18年1590年))を祖とする。 上述のように吉田家主君六角義賢の間で家伝めぐって争い生じた折、家伝絶えることを危惧した重政らが荷に奥義授けて京都に移らせたという。 荷は仕官しなかったものの、多く武将との交際伝えられる。特に細川幽斎とは親しく弓術教授したほか、幽斎配下故実家小笠原秀清(少斎)から故実礼法学んだという。天正18年1590年)に77歳没した地も細川氏領国丹後国田辺であった子孫津藩主の藤堂氏仕え扶持600石)、代々左衛門称し唯授一人相伝受け継いだ津藩手厚く保護され近年まで道統伝えられた。仙台藩会津藩等にも伝わったほか、道雪派分派した荷から免許受けた人物には、細川幽斎蒲生氏郷豊臣秀長・秀次、宇喜多秀家らの武将もいた。道雪派 吉田重勝(荷)の弟子、伴一安喜左衛門、号:道)(元和7年1621年)没)を祖とする。 道はもと建仁寺下級僧侶で、後に細川幽斎出仕した荷は、門下で道が最も優れていたので道統を継がせようとしたが、道固辞し別に一派立てることを願い許されたという。道の子孫が郡山藩仕えたほか、高槻藩会津藩広島藩熊本藩などに伝わった。 道天正年間根矢(鏃の付いた実戦用の矢。重いので遠くに飛ばすには不利)で三十三間堂通し矢行った。これが後の「根矢数」の起源となった初期通し矢では道雪派門人多く記録残している。

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