大和朝廷と土蜘蛛とは? わかりやすく解説

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大和朝廷と土蜘蛛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 01:48 UTC 版)

土蜘蛛」の記事における「大和朝廷と土蜘蛛」の解説

『日本書紀』では神武天皇即位以前己未の年大和国恭順に及ばなかった波哆丘岬の新城戸畔(にいきとべ)和珥坂下の居勢祝(こせはふり)臍見長柄丘岬の祝(いはふり)という三箇所の土蜘蛛それぞれ討ち取らせた。また高尾張邑にいた土蜘蛛(かずら)をあんで作った網を使って討っており、そのこと因んで地名葛城かつらぎ)と改めた、と記している。高尾張邑にいた土蜘蛛については、体が侏儒のように小さく手足長かった描写されている。 景行天皇12年82年)冬10月景行天皇が 碩田国(おおきたのくに、現大分県)の速見到着し、 この地の女王の速津媛(はやつひめ)から聞いたことは、山に大きな石窟があり、それを鼠の石窟呼び土蜘蛛2人住む。名は白と青という。また、直入郡禰疑野(ねぎの)には土蜘蛛が3人おり、名をそれぞれの(うちざる)、八田(やた)、国摩侶(くにまろ・国麻呂)といい、彼ら5人は強く仲間の衆も多く天皇命令従わないとしている。 仲哀9年3月丙申200年3月25日筑後国山門郡(やまとぐん、現柳川市みやま市)に田油津媛(たぶらつひめ)という女王があり、神功皇后により誅殺されたとある。 『肥前国風土記』には、景行天皇が志式島(ししきしま 現在の平戸南部地域)に行幸した際(72年)、海の中に島があり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、小近島方には大耳、大近島の方には垂耳という土蜘蛛が棲んでいるのがわかった。そこで両者捕らえて殺そうとしたとき、大耳達は地面に額を下げて平伏し、「これから天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物差し出して許しを請うたという記事がある。 『豊後国風土記』にも、五馬山の五馬姫(いつまひめ)、禰宜野の打(うちさる)・頸うなさる)・八田(やた)・國摩侶、網磯野(あみしの)の小竹鹿奥(しのかおさ)・小竹鹿臣(しのかおみ)、鼠の磐窟(いわや)の青・白などの多数土蜘蛛登場するこの他土蜘蛛八十女(つちぐもやそめ)の話もあり、山に居構えて大和朝廷抵抗したが、全滅させられたとある。八十(やそ)は大勢の意であり、多く女性首長層が大和朝廷反抗して壮絶な最期遂げた解釈されている。この土蜘蛛八十女の所在大和側に伝えたのも、地元女性首長であり、手柄をあげたとして生き残ることに成功している(抵抗した者と味方した者に分かれたことを伝えている)。 また、丹後国風土記』の写本一部とされている『丹後国風土記残缺』という本には、丹後国暴れていた陸耳御笠(くがみみのみかさ)と呼ばれる土蜘蛛がいたと記している。崇神天皇勅命受けた弟の日子坐王が討伐し、陸耳御笠は與佐大山に逃れた記されている。與佐大山は今の大江山伝えられており、陸耳御笠を「大江山最初の鬼」とする評価もある。

※この「大和朝廷と土蜘蛛」の解説は、「土蜘蛛」の解説の一部です。
「大和朝廷と土蜘蛛」を含む「土蜘蛛」の記事については、「土蜘蛛」の概要を参照ください。

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